古代の薩摩940年 #66
第四部 日本武尊(やまとたけるのみこと)の熊襲征伐 =国長李田仙吉の考察・氏姓(うじ・かばね)制度=
西暦246年に邪馬台国女王卑弥呼様がお亡くなられたという。
わずか3年の短い付き合いだったが立派な方だった。平和と人民の暮らしを第一に考える点では共感できた。これから倭国はどうなるのだろうか?大乱の予感がする。資料として読ませてもらった氏姓制度について後世のために書き残しておきたい。
邪馬台国=大和王権は天皇を頂点とする有力豪族の連合政権である。「氏」とは血縁を軸とした一族で、「姓」とはそれぞれの一族ごとに分担させた仕事内容である。例えば、軍事は大伴氏・物部氏、財政は蘇我氏、祭祀は中臣氏・忌部(いんべ)氏、古墳造りや葬式は土師(はじ)氏、機織りは服部(はたおりべ→はとりべ→はっとり)氏、弓作りは弓削氏、宮廷の護衛は犬養氏、朝廷の食事担当は膳(かしわで)氏、水産物や航海は海部(あまべ)氏
などである。よく考えられているとは思えるのだが、欠点もある。われわれでも兄弟でさえ、得意・不得意がある。苦手な仕事を一生続けるのかと思うと憂鬱だろう。我が薩摩は村ごとに特産物を作るようにしてきたが、それは個人では自由でもある。それよりなにより支配→被支配の関係が絶対化されている。
最近、漢の司馬遷(しばせん)の「史記」が手に入り、軍事的なところは林沖一にまかせ、私は国家の仕組みについて研究している。やり方は2つに大別されると思う。秦の始皇帝のように絶対権力を持つ皇帝がいて、その下に官僚組織が全国津々浦々まで整い税をとるため戸籍が完備している形と漢のように皇帝は中央にいるが、地方は豪族などに自治を許す形である。大和王権は漢に近い。どちらも一長一短あるが、薩摩と違うのは支配→被支配が前提であることだ。規模が大きくなると薩摩方式は無理なのだろうか?「権力は必ず腐敗する。」.と思う。薩摩は450年間も続けてこられたのは奇跡なのだろうか?国長は必ず次を選んで育てる責務がある。この役目なかなか大変だが、ここがポイントかもしれない。史記を読むと時々立派な皇帝も登場するがほとんどが1代である。あのすばらしい仕組みを作った始皇帝でさえ、15年である。
「権力は必ず腐敗する。」薩摩は言い続けなければならない。