全日本人が今後避けては通れないエネルギー問題について考える土台となる一冊〜13歳からのエネルギーを知る旅/関口美奈
東日本大震災時の福島第一事故を契機に、日本、いや、世界全体の原子力発電を取り巻く状況や雰囲気は大きく変化しました。
正直、自分も一民間企業の一発電所の事故が、これほどまでに物理的にも社会的にも大きな影響を及ぼしうるものとは想像できていませんでした。
”プロメテウスの炎を持ってしまった者の責任”
なんて言葉も聞いたような。
みなさんご存知の通り、今世界はSDGs、カーボンニュートラルが喫緊の課題となっています。
日本の二酸化炭素の排出量の約4割を占める発電部門。
勢い、日本のカーボンニュートラルを考えていく上で、原子力発電をどうするか?は避けて通れない問題です。
もしかしたら、多くの方は
「東日本大震災で日本中の原発が止まったけど、別に影響ないじゃん。再生可能エネルギーをどんどん導入して発電すれば問題ないんじゃね?」
といった意識を持たれているかもしれません。
でも、事はそんなにシンプルではなく・・・
本書は、そんなエネルギー問題を考えるためのベースとなる知識をコンパクトかつわかりやすくまとめてくれた一冊です。
タイトルに13歳とありますが、大人でも知らない人が大半なような・・・必修科目にしてもよいんじゃないか、とも思ったので簡単にですがご紹介させていただきたく。
考えるための基礎知識
本書でも触れられていますが、電力の安定供給には「同時同量」といって需要に対して供給量をフィットさせる必要があります。
一方で、風力や太陽光といった再生可能エネルギーは〇〇Kwという発電の容量は示されますが、風や日照状況により、発電量が短時間に大きく変化します。
雑音を逆位相の波で打ち消し合うノイズキャンセリングのようなイメージを持ってもらえればと思いますが、再生可能エネルギーという予測困難な音を綺麗に打ち消しあうためには、逆位相の波を出す機械側も容量を大きくしなければならない、というある種のジレンマを抱えているわけです。
再生可能エネルギーでなんとかなる!と主張する場合には、この”予測できない発電量の変化”をどうするかを合わせて考えないといけません。
多くの報道には、この視点が欠けているような気がします。
「原子力=危ない」を超えた理解へ
震災後、福島第一原子力発電所をめぐり様々な報道がなされました。
・発電所の吉田所長の活躍
・帰宅困難区域にいる方々の苦悩
・原発不要!と声高に叫ぶ政治家
確かに、いずれの報道も事実なのかもしれません。
でも、少しでも電力業界のことを調べたりかじったりしたことがある方の多くは、そんな報道を見、モヤっとしたものを感じます。
「原子力は100%安全とは言わないけど、そのメリットとかこれまでに国民がどれだけ受益してきたかに全く触れないのはどうなのだろうか」と。
上述のとおり、再生可能エネルギーの変動を吸収し電気を安定供給するためには短時間で発電容量をコントロールできる手段をもつ必要があります。
現在の科学技術では、これは基本的に汽力(火力)でしか担うことができません。
で、火力というと避けて通れないのが二酸化炭素の排出問題。
電力業界では、アンモニアや水素の混焼、バイオマスなどの技術により火力発電伴う二酸化炭素排出量の削減(見かけ上も含む)に全力で取り組んでいるところですが、二酸化炭素排出量がゼロの火力発電は至近に実施されることはなさそうです。
S+3Eという観点からの議論
エネルギー業界では、S+3Eというキーワードが頻出します。
経済産業省のHPでも詳しく解説されています。
エネルギー自給率が低い日本では、S+3Eの要素を完璧に満たす発電方式は存在せず、複数の方法を用いてできるだけ高い次元でそれらを共存させようと各所、努力をしています。
安定、経済、環境、安全性。
上にあげた再生可能エネルギーに偏ると、環境は満足するけど安定と経済に問題が生じ、原子力に偏りすぎると安定なり環境は満足するけど(実際は世界トップともいえる安全性が確保できないと稼動できないのですが)国民理解という観点からの安全性にはまだ課題がある。
これらの4因子を高い次元で満足させることがいかに難しいか、ちょっと考えていただくとお分かりになるかと思います。
エバンジェリストという生き方
著者の関口さん、てっきり理系畑のかたかと思ったら元々会計監査法人に勤めていらしたのだとか。
仕事でエネルギー問題に携わり、エネルギー業界の現状を変革する必要があるものの、システム変換には途方もなく時間がかかる、命があるうちにそれを達成するのは困難、だからエバンジェリスト(伝道者)になろうとして独立をしたという興味深い方。
多分、エネルギーに関する報道を見ていても、私たちのうち99%以上は
・国が決めること
・知識のない自分が何をいったって変わらない
と思い、意見も表明することなく流されるがまま。
確かに、能動的に考える材料をとりにいき、思考を巡らすことには手間もカロリーもかかります。
でも、自分も最近40歳に近い年齢になり、自分の子供たちなり日本、いや、世界の将来を担うであろう子供達に
・なんでこんな日本にしたんだ
・こんなひどい世界を残すなんて
と言われたくないな。漠然とそんなことを思うわけです。
一人一人の活動は些細なことかもしれませんが、例えばですけど本ブログを見て1人でも少しエネルギーに興味を持ってググったりしてみてくれる。
その人が周りの人に、ふとしたタイミングで発電の話をしたりする。
池に投じた小さな石から波紋が広がるように、まずは小さな一歩からでしょうか。