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終わりのその先 第1話【お仕事小説】 〈第1話~第9話完結〉

あらすじ
大都市の上浜市役所で部長として働いてきた東郷秀樹は、定年延長と役職定年の導入により、係長に降任することを知らされる。
降任しても市に残るべきか、部長として退職すべきかゆれ動く秀樹のもと、保護課の部下が横領事件を起こす。秀樹は上司として懲戒処分を受け、さらにパワハラでも訴えられる。
家庭でも、妻は相談相手になってくれるどころか不倫の疑惑が生じ、娘は就活しないし、息子は退職してニート化するなどさまざまな問題が勃発する。
民間人材会社に登録するも、スカウトは来ず、再就職はきわめて難しいという現実にぶち当たる。
刻一刻と現職の期限が近づく中、秀樹が出した結論「終わりのその先」とは…。

〔終わりのその先 全9話完結〕  

役職定年

 人生って、そううまくいくものではない。
 というか、大体うまく行かないことの方が多いものだ。

 そう思ってはみるものの、先ほど電子決裁で見た文書の内容は、まるで俺への当てつけのようなものではないか。

「定年延長について」
 文書名は「定年延長」と書かれていたのに、中をよくかみ砕いて読んでみると
――まったく、役所の文書にありがちの、複雑で一度読んだだけでは意味が理解できないような、まどろっこしい文書だったが――

 定年をまず1年延長、経過措置終了後は5年延長するという代わりに「役職定年」を導入するので、局長も部長も、管理監督権限のない「係長」に降任しますよ、というものだった。

――係長に降任するって?

 かつて若かりし頃、昇任試験のためにせっせと暗記した地方公務員法で、「降任」する場合というのは、非常に限定的でしかなく、『分限』つまり心身の故障や能力的に業務の遂行に支障がある、というような場合に「降任」という分限処分が下されるのではなかったか。

 『分限』とは…「免職」「降任」「休職」「降給」
 『懲戒』とは…「免職」「停職」「減給」「戒告」

 秀樹は、むかし丸暗記した『分限』と『懲戒』の処分の種類をそらんじてみる。
 念のために、ネットでも調べて確かめてみるが、職制・定数の改廃や予算の減少なども理由になるとは書いてある。
 が…、にわかには納得しづらい。


総務統括部長の情報

 文書の電子供覧だけでは、なんともすっきりしないので、秀樹は、中越区の総務統括部長である飯塚に確かめてみることにした。

 内線電話をかけると、飯塚は
「ああ、そうなんですよ。東郷部長には直接ご説明すれば良かったですね。
 すみません。部長会議の日程がまだ少し先だったもので、ひとまず電子で、早く情報共有をさせていただく方がよろしいかと思ったのですが…」
と恐縮そうに小声で話した。
 そう恐縮されると、いかにも秀樹が文句をつけたかのようで、なんともバツが悪い。それに「東郷部長には」と言われると、いかにも自分が当事者だからこの文書の内容に固執しているようではないか。

「あ、今ご説明に伺いますね」
と言うと、電話を切り、5分もたたないうちに飯塚が厚生福祉部長の秀樹の席にやって来た。
 秀樹は、部長席の横の応接セットではなく、廊下に出て小会議室に飯塚を促した。

「いや、すみませんね。
 先週の全局総務担当部長会議で、人事部から説明されたものなんですが…。
 東郷部長は、対象者ですものね」
 飯塚は、そう言って秀樹の顔をまっすぐ見た。

「ああ、まあ。生まれ年からすると、そうみたいだね。
 でも、こんな制度をつくるのって、どうなんだろうね。
 定年延長は時代の流れだろうけど、1ランク役職が下がる、今の再任用でさえ、まわりがやりにくいっていう面があるのに、ましてや局長から係長に3ランク下がるなんて、まわりが何て呼んだらいいのか、実務を教えていいものか、戸惑うんじゃないのかね?」
 秀樹は、自分一人の問題ではなく、市役所全体に起こりうる問題を懸念しているのだということを強調した。

「そうですよね」
 飯塚は、同意した。
「今の再任用は、もう職場になじんでいるんですけどね。
 局長が係長になって、職場に来たらやりづらいですよね。
 でも、国がこの定年延長と役職定年を導入して、管理職から下ろすという仕組みを作ってしまったので、県も市も同じようにしないとならないようです」

「ああ、国が決めたってことか」
「そうなんです。ただ…」
「ただ?」
「どこか再就職できれば、降任せずに辞めれますからね」
 確かに。再就職、転職できれば。

「東郷部長は、どうされる感じですか?」


五月病

 地下鉄駅から重い足取りで家に向かいながらも、飯塚のことばが秀樹の胸の奥にトゲのように刺さったままだった。

 俺は、どう…するのか?

 さっきは、「いや、今日知ったばかりだからねえ」と言って、お茶を濁したが、飯塚は「そうですよね」と言いながら、こうも付け加えた。
「私たちは、先輩方がどのようにされるか、しっかり見て考えるようにします」
 イヤな奴だ。
 大体、いつも丁寧な話し方をするが、それも慇懃無礼というものだ。
 自分より3歳若いくせに、区の筆頭部長に就いている。
 秀樹を心の中ではバカにしているのではないか?

 道路に面した床屋のガラス窓に映る後退した額と髪の境界線を見ながら、彼はため息をついた。
 俺も、こんなんじゃなかったんだけどな。
 西城秀樹と郷ひろみをかけ合わせたような、東郷秀樹という名前がふさわしいと思うほど図々しくはなかったが、それでも今より少しは見栄えも良かったはずだ。
 でも…、西城秀樹も病気で亡くなったんだったな。
 亡くなった時に騒いでいた奴らは昭和の人間ばっかりで、平成の若い奴らはそもそも知らない素振りだったんだから、俺も歳を取ったってことだ。

「ただいま」
 玄関を開けて家に入ると、バタンと2階の部屋のドアが閉まる音がした。

 あれ? 翔馬がもう帰って来ているのか?
 秀樹は、階段を上がると子ども部屋を一応ノックして覗いた。
「おう、翔馬、今日は帰り早いんだな」
 そう言いながら、ドアを開けると、ベッドの上で横を向いて布団を頭にかぶる息子の髪の毛が見えた。
「どうした、具合が悪いのか?」近づいて声をかけると
「いや」とくぐもった声が聞こえた。

「今日、会社は行ったのか?」
 …返事がない。
「行かなかったのか? 何かあったのか?」
 翔馬は、布団から顔の上半分だけ出して言った。
「別に」
「別にって、何もなくて会社をずる休みしたのか?」
 秀樹は頭に血が上るのを感じた。
 血圧が上がるではないか。

「父さんには分からないよ」
「何?」
 こめかみに血管を感じながら、息子の布団を剥いだ。
「どういうことだ」

 翔馬は、観念したように身体を起こして、壁に背をもたせた。
「会社行ってもさ、うまくいかないんだよ」
 つぶやいた息子の目は、投げやりで諦めの色であふれていた。
 それでいて、黒い瞳に浮かぶ潤んだ光が赤ちゃんの頃を思い起こさせて、秀樹の怒りは少し萎える。

「そりゃ、最初っからうまくなんて、いかないさ」
 優しく包み込もうとする父親の言葉も、息子は
「いや、俺と父さんは違うからさ」と、はねのけた。
「父さんは、大学だって勤め先だっていいし、出世もして上手くいってるじゃん。俺は、何やっても上手くいかないから」

 2浪した末に翔馬が受けた大学は、国立大学を前期・中期・後期の3校、加えて私立大学の4校で計7校だった。
 しかし、結局、国立は全滅で、私立大学の中ですべり止めと位置づけていた湘南大学のみ合格し、不本意だったが、大学というよりサーフボードの似合いそうな名前をもつ、その大学に入学した。

 実際、秀樹は職場の同僚つまり飯塚だったり、部下だったりから尋ねられて大学名を答えると、相手は必ず笑顔を浮かべて
「カッコイイ大学ですね。なんていうか」
などど、あいまいな褒め言葉を使うのだった。

 翔馬の言う通り俺は、と秀樹は自分を客観的に省みる。
 名の通った国立大学を卒業し、人口250万人の大都市に勤務しており、部長にまで上りつめた。
 いや、上りつめたというのは適切ではない。
 特別職までは望まずとも、局長まで行けばそう表現しても良かっただろう。
 だが…局長まで上りつめても、60歳になれば「終わった人」と見なされ係長に降任だ。
 ふと現実に引き戻される。
 部長の俺だって、あと11ヵ月もすれば係長だ。
「いや、父さんだって、いろいろとあるんだよ」
「そお? でも、レベルが違うと思うよ。俺なんかとは」

 今ここで役職定年の問題を話したところで、翔馬はよく理解しないだろう。
「会社、なにか大変なことでもあるのか?」と尋ねた。

 2浪の末に入った湘南大学を、さらに1年留年してやっとこの春卒業した。
 単位が取れなかった訳ではないが、就活1社目の面接で心が折れて、その年の就活を諦めてしまったのだった。
 あげく「就職浪人は印象が悪くなるから、1年留年して卒業を延ばした方が、翌年に新卒となれるから就職に有利だ」と言い出した。
 そんな調子だったから、次の年も就活にはやはり苦戦し、それでもなんとか内定にこぎつけたのが、今のコピー機メーカーだった。

「なんかさ、コピー機の営業ってことで入ったのに、DX化するだの何だのって、むずいんだよ。
 取引先に行っても『お宅の会社は、ウチがDXを取り入れるのに、どんなことしてくれるの?』とかって聞かれるんだけど、全然説明できなくって」
 うーむ。確かに今の情勢だとDXは求められるところなのだろう。
 生粋の文系の息子を眺める。
 いや、文系理系という以前に能力的な問題か。

「まあ、今お前は入ったばっかりなんだから、知らないことだらけなのは当然だ。でも、その後どうするかだ。DXについて深く勉強して、取引先がどんなことに困っているのか聞いて、まわりの先輩にも教えてもらうんだな」
 我ながらいいことを言った、と秀樹は心の中で自分に拍手をした。
「ふうん」
 翔馬は、3割くらいしか納得していない顔で尋ねた。
「それで『快適なソリューション』っていうのを提示できるの?
 それに、社会に出てこれからDXを深く勉強するって言ってもねえ」
 二人の間に、どうしようもない沈黙が流れた。

「腹、すいた」
 息子の腹時計にホッとしたのは、秀樹の方だった。
「おおそうだったな。母さんは、まだなのかな」
 時計を見ると、7時を回っている。
 居間に移って、テレビをつけながら新聞を広げ、新聞は視界に入れつつもスマホで最近はじめたXを開き、役職定年についての投稿はないかと思いながら見ていたがなく、妻はいっこうに帰って来ない。
 そわそわし始めた秀樹を一瞥して、翔馬はこう言った。
「お母さん、帰って来ないかもしれないよ」

――第2話へつづく――

終わりのその先 第2話 
                             終わりのその先 第3話


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