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終わりのその先 第7話【お仕事小説】
〔これまでのあらすじ〕
上浜市役所に勤務する東郷秀樹は、役職定年で部長から係長に降任するか、退職するかで悩み、人材登録サイトにも登録し就活を始める。
そんな折、保護課の部下が横領事件を起こした。
また息子の翔馬は、やっと就職した会社を退職し、ゲームで奇声を上げており、娘の里菜も大学4年生だが、就活していない様子。
妻尚子の働いている書店で、イケメンの店長と妻が親密に接しているのを見た秀樹は、昔好きだった百合華と再会し、誘うが拒まれる。
そして人事課から呼び出されると、保護課長の下村が秀樹をパワハラで訴えていた。さらに、横領事件の責任で減給の懲戒処分を受けるのだった。
就活
梅雨が明け、本格的な夏の到来を感じさせる快晴の土曜日、秀樹の心の中は晴れなかった。
昨日の人事課からの、いや下村課長からのパワハラとの訴え、部下の横領事件への管理監督責任に対する懲戒処分、すべて知っていた刈屋崎からの厳しい言葉。
とりわけ、同じ管理職である課長からパワハラと訴えられるなどということは、想像をはるかに超えており身に応えた。
頭の中はいろんな事で埋めつくされていたが、この土日でやることをやらなければならない。
秀樹は気持ちを奮い立たせパソコンに向かい、先日登録しておいた『プラチナ・ビズ』にアクセスした。
どんなスカウト、来てるかなー?
明るく呟きながら見てみるが、何も来ていない。
1通、自分あてのメッセージが届いていると思ったら『プラチナ・ビズ』からの「ご登録ありがとうございます」というご案内メールだった。
求人内容は日々更新されるらしく、新着という印のついた求人からたくさん表示されている。
よく名前を目にするような企業もあれば、初めて見る会社もいっぱいある。
どうやら年齢制限というのは、なさそうだ。
検索タグで「マネジメント」「事務」「管理」「行政」など、自分が得意とする分野の求人を検索し、表示される会社をつぶさに見ていった。後でまた見たいと思う会社には「気になる」マークを付けておく。
そろそろ昼飯の時間になると思い、居間に行くと里菜がソファでスマホをいじっていた。
書店に勤める尚子は、土曜日は仕事のことが多く今日も不在である。
「メシ、どうする?」と里菜に聞いてみたが
「あー、何も考えてない」という答が返ってきたので、冷蔵庫にあった豚肉、キャベツ、人参、玉ねぎで秀樹が3人分の焼きうどんを作った。
冷凍うどんは常備している。
翔馬も部屋から出てきて、3人で焼きうどんをズルズルと食べる。
「里菜、さっき何を一生懸命スマホ見てたの?」
秀樹が尋ねると
「うん、実はね。今考えてることがあって…」
と娘が答えたので、就活に進展があるのかと淡い期待を抱いたが、そうではなかった。
「私、留学して英語を身につけるのがいいのかな、と思うの」
うどんを咀嚼しながら里菜が言った。
思わずうどんを吹き出しそうになったのを堪えて、秀樹は
「留学? どこに? 英語を身につけるために?」
と矢継ぎ早に聞いた。
「うん。本当はアメリカかカナダ、いやイギリスもいいんだけど…。
費用も高いし物価も高そうだから、ニュージーランドがいいかなと思って」
と、まるで親の懐具合を考慮して、ニュージーランドで費用を抑えるかのような言い方をしてきた。
「里菜、お前…。大学4年の今、留学したいって言うのか。就活はどうする?」
就活というワードを出さずに済めばと思っていたが、出さない訳にはいかない。
親が60歳に向けて就活を始めているっていうのに、大学4年生が就活しないのか。
言い分
娘は入試で1浪したものの、そこそこいい県立大学に合格し、国際コミュニケーション情報学科の4年生だ。何とかどこかに就職できればいいと思っていたのだが。
里菜は、
「このままどこかに就職できれば、それもいいとは思うんだけど。
でも私、国際コミュニケーション情報学科という割には英語もちゃんと喋れなくて。
このまま卒業して就職してしまうと、外国に住む機会なんてのもきっとなくて、国際的なコミュニケーションなんて、ちゃんとできないままなんじゃないかな、って思うの」と話した。
お前、国際コミュニケーション情報学科に何しに行ってるんだ?
国際的なコミュニケーションをできるようになるための授業や、ゼミを受けているんじゃないのか?
秀樹の心の声が伝わったかのように、里菜は答えた。
「大学には外国人の先生もいるんだけど、週2コマの講義だけだし。
外国人留学生もいるんだけど、留学生は日本語を覚えようとするから結構日本語を話すんだよね。
で、講義では日本人の学生同士で会話しても、ネイティブとはやっぱ違うんだよねー」
「外国に住む機会がこの先ないって言ったけど、外国に駐在するような仕事っていうのもあるだろう。
仕事しながら外国に住めば、英語もぺらぺらになるぞ」
と秀樹が、ひとまず就職することを促すと
「でもね。理系ならともかく、技術もない文系でそういう外国に駐在するような仕事で採用されるためには、英語ぐらい話せないと採用にならないのよ」と、のたまう。
まあ、確かに。それは一つの真理ではあろう。
エントリー
また心配のタネが一つ増えてしまった。
秀樹は、気を取り直してパソコンに向かう。
『プラチナ・ビズ』のサイトには、また新しい求人情報が掲載されており、その中から「ファシリティ管理」という会社と、先ほどお気に入り登録しておいた「人事マネッジ」という会社に応募をしてみることにした。
なになに、応募をするにも、職務経歴書っていうのが必要なのか。履歴書のようなものかな。そして、システムでエントリーするっていうことか。
これまで大都市の行政部門で、長年総務や財務、経理などの仕事で実績を積んでおり、人事管理や施設管理、組織マネジメントの経験があることなどを、いくつかPRポイントとして挙げた。
エクセルで作成した詳細な職務経歴書を添付して、秀樹は2社にエントリーした。
これで相手方の反応を待つことになる。
まるで休日に仕事をしたかのような錯覚と急激な疲労感を覚え、少しベッドに身を横たえるとそのまま眠りに落ちた。
娘の考え
目が覚めると、カーテンを閉めていないままの部屋は真っ暗だった。
窓の向こうに、少し欠けた月が象牙のように白く夜空に浮かんでいる。
時計を見ると7時を過ぎていた。
階下に降りていくと、尚子が夕食の支度をしていた。
「あら起きたのね。ぐっすり寝てたけど、疲れてるの?」
尚子は味噌汁を小皿で味見して火を止めると、ふーっとため息をついた。
彼女は書店から帰って来て、すぐに台所に立っているのだろう。
「ああ、ちょっとね。俺も民間企業を探してみようと思ってね。
エントリーしたところさ。この年になって就活すると思ってなかったよ」
「そうなのね」
そう言いながら、尚子は秀樹の顔をまっすぐ見つめて言った。
「お疲れさま」
「あ、いやいや。お前の方こそ仕事で疲れてるのに、ご飯作ってくれて疲れたろう」
この前の百合華との一件…、いや、結局どうにもならなかったのだが…、それを企てたことで、秀樹は思いのほか自責の念にかられることが多くなっていた。
尚子の肩をもむ素振りをすると
「あらどうしたの。妙に優しいのね」と言いながら、するっと身をかわし、牛肉と青菜の炒め物を皿に盛った。
秀樹は、昼間里菜が留学したいと言っていたことを尚子に話した。
驚くと思っていた尚子は全く驚かず、もっと驚くことを口にした。
「そうそう。留学したいってこの前から言ってるのよね。
でね、それが無理なら結婚したいって言ってるのよ」
「えっ」
ここ数日でいろんな事に驚いているが、秀樹にとって娘の『結婚』は一番驚く事だったかもしれない。
「何だって、結婚!?
まだ大学も出ていないのに、誰とだ。
この前のあいつか?」
1ヵ月くらい前に、塀の中で娘とキスをしていた男を思い浮かべ、憎しみにも似た感情を込めて言った。
「まあ、そうなんじゃない」
尚子は、秀樹に比して平然と話をしている。
「結構まじめに付き合ってるみたいよ」
「えっ、あんな事して、どこがまじめだっていうんだ」
また血圧が上がっていくのを感じる。
そんな秀樹をたしなめるかのように、尚子は話した。
「この前、お父さんにスマホを見られたって、憤慨してたわよ」
笑いをこらえるようにして、上目遣いで秀樹を見上げる。
「まあ今の子は、スマホ見られたら怒るでしょうね」
この前、里菜が洗面所に行っている間にスマホの画面が光ったので手に取ると、意外にもロックされておらず、そのためLINEを見てしまったのだ。
洗面所から戻ってきた里菜はひどく怒り、
「プライバシーの侵害!」
と叫んで、秀樹からスマホをひったくるように取り戻すと、ふん!と言って出て行ってしまったのだった。
「スマホ代も通信費も、俺が払ってんのにな-」
秀樹は、ため息をついた。
「でも、留学できなかったら結婚って、どうしてそうなるんだ?」
――――第8話へ続く
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