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ビッグモーター元副社長・兼重宏一氏への同情と教訓

世間に衝撃を与えたビッグモーター問題。その最大の悪役は、創業者である兼重宏行氏ではなく、その息子で副社長であった宏一氏だった、というのがマスメディアやインターネットでの「定説」になりつつある。今のところ私も異論はない。

当の宏一氏が表舞台に姿を現してないため、あらゆる推測が邪推になってしまうのは仕方ない。だが、正直言って、私は宏一氏に「同情」してしまう。「お前の気持ち分からないでもないよ。そりゃそんな風になるよな…」と。

もちろん、宏一氏の強烈なパワハラや不正行為は、法的な裁きにより断罪されるべきであろうし、中古車業界への信頼失墜の度合いを鑑みれば、社会的な制裁は免れ得ないだろう。

だが、このまま行くと「アイツは悪いヤツだったよね」で終わりそうな件だったので、少し茶々を入れたい。今回の問題は「誰だって、宏一氏みたいになりうるぞ」と、我々に重要な教訓を与えているからだ。

今日はそんなことについて書いていきたいと思う。

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父親である兼重宏行氏は、ビッグモーターを創業し、一代にして大手企業に押し上げた敏腕である。社員からの信頼も厚かったようだ。だが息子の宏一氏が副社長に就任し、社長の宏行氏がほとんど前線から退いた直後から、社風がガラッと変わってしまったようだ。

すでに様々なニュースで取りざたされているように、目標未達の工場長・店長への「〇刑〇刑〇刑教育教育教育」といった身の毛のよだつLINE、そして店舗視察時に機嫌を損なったら一発で降格や左遷を与える、といった恐怖政治が行われていた。結果、プレッシャーに晒された工場長・店長が今度は部下に強烈に圧力をかけ、現場の社員たちが不正に手を染めてしまった、というのが今のところの見解である。

これだけ見ると、宏一氏は元から性根の悪い極悪人で、悪人が権力を握ってしまったがために悪夢が起きてしまった、と片付けられがちである。だが私は、宏一氏がそのような異常者だとは思ってない。普通の人が、突然にして絶大な権力を握ってしまったがために悪人に堕ちてしまった、と考えている。

宏一氏が性悪ぶりを断じるため、メディアやTwitterの有志が、学生時代の宏一氏について熱心に調べて回っているようだ。だがいくら探しても、それを裏付けるようなエピソードはほとんど出てこないだろう。もちろん「若気の至り」がチラホラ出てくるだろうが、それは誰にでもあるものだ。

宏一氏はむしろ「普通」の人間だったのではなかろうか。もちろん、大企業の御曹司であり、早稲田大学に進学し、海外でMBAを取得している時点で全くもって「普通」ではないのだが、性格は至って普通であったと思われる。

彼を変えてしまったのはきっと「権力」だろう。普通の人間が突如、大手企業の副社長となり、自分の命令に部下たちが首を垂れサササッと従う様を見てしまったら、感覚が狂わない方が難しい。だから私は宏一氏に対し同情の念を抱き、我々はそこから教訓を得なければならないと考える。

今回の件は、悪人が権力を握ってしまった帰結として悪事が起きた、ではなく、普通の人間が突然に権力を握ると狂う、と捉えるべきだろう。

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宏一氏の言動を見るに、「陰でコソコソ不正を行っていた」たぐいではなく、公然と(LINEで)部下たちに強烈なパワハラと絶対服従を強い、それを嬉々として行っていたきらいがある。これだけ見ると、あたかも宏一氏がサイコパスに見えてしまう。

だが思い出してほしい。我々ホモ・サピエンスは、ちょっとばかし理性のあるサルに過ぎない。我々は、「権力」を「快感」と感じるようにプログラムされている。サルだった頃のなごりだ。

ここで言う「権力」とは、「大きな決定権を持つ責任ある立場」という意味ではない。「問答無用で下の者たちを服従させ、肉体的・精神的に攻撃しても、こちらは咎められない安全圏にいる」という権力である。言うならば「サルの権力」である。そして残念なことに、我々ホモ・サピエンスは、この「サルの権力」を「快感」と感じるようプログラムされている。

次々と明るみになる宏一氏の言動を見た我々は、「そんなとんでもない悪党がいるものなのか…!?」と思ってしまうが、サルの末裔であるヒトの本性が、最悪な形で発露してしまった悪例、と見るべきだろう。つまり、誰だって、宏一氏のような状況になれば、サルだった頃の本能が覚醒し、同じようなことをしてしまう危険性があるということだ。

突然に権力を手に入れ、大勢の部下たちが自分にペコペコし、いくら罵倒したところでこちらは咎を受けない。そんな状況になれば、狂わない方が難しい。「権力の快感」というシャワーを浴びれば「もっとこの権力を使って気持ち良くなろう」と思ってしまうのは当然の帰結。もっと部下たちを服従させ、肉体的・精神的攻撃を加え、更なる快感を浴びようとする。

宏一氏が不幸だったのは、それを咎める者が誰もいなかったこと。そして何より、「権力を握った自分がどのような人間になるのか」を試す経験をせずに、突如として絶大な権力を握ってしまったことにある。

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たいていの社会人は、まずは平社員から始まり、階級が上がると、小さなチームを任される。そこである種の「小さな権力」を得て、自分が権力を握るとどのような人間になるのかを知る。もちろん最初から人徳のあるリーダーシップを発揮する人もいるだろうが、権力が気持ち良くなり、乱用してしまう人もいる。だが、たとえ乱用してチームが乱れプロジェクトが失敗したとしても、被害は少ない。むしろ、小さなチームで失敗経験を積むことが重要である。自分が権力を握り、乱用すると、どのような結果が待っているかを身をもって知るからだ。

大半の人間は、社会人として出世するまで、ほとんど「権力を持った自分」に向き合う機会を持たない。学級委員長、生徒会長、部活のキャプテン、これらは確かにリーダー役であるが、「権力」はほぼ無いに等しい。

学校教育では、「自分が権力を握るとどのような人間になるのか」を経験する場は用意されてない。社会人になっても最初の権力は小さく抑えられている。階級が上がるにつれて大きくなっていくのだが、その度に失敗と反省を繰り返すため、大勢を率いる立場になる頃には「権力を握っても乱用しないリーダー」に仕上がっていく。もちろん例外はあるが。

宏一氏には、それが無かった。彼には、学生時代もしくは社会人になってから、小さいチームで「権力」を得ると自分がどうなるのか経験する機会が無かった。あったとしたら同様に、LINEで「〇刑」と連呼したり、問答無用で部下を左遷させたりしたかもしれない。だが、そのせいでチームが崩れ、失敗に終われば、自分を見つめ直すチャンスは得られた。「ああ、権力は気持ち良いが、使い方を間違えてはいけないんだな…特に自分は」と。

宏一氏は不運なことに、いきなり大きいチームで絶大な権力を握ってしまった。そこで「サルの本能」が急激に覚醒し、快感を得て乱用してしまった。今回の大騒動が起きるまで、「権力を持った自分がどうなり、乱用するとどうなるのか」を経験して反省するチャンスを一切与えられなかった。

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私は、宏一氏に同情してしまう。というのも、私も「小さな権力」を与えられて、その運用に失敗した恥ずかしい経験があるからだ。

私は、学生時代にとある団体のリーダーを務めた。そこでは、どうしてもリーダーが強い権限を持たないと機能しないタイプのイベントを扱っていた。そこで私は「サルの権力」を発動してしまった。決して暴力や人格否定の暴言をしたわけではないが、お世辞にも信頼されるような振る舞いができず、ほとんど命令に近いような理不尽な指示出しをして現場を混乱させてしまった。今でも、思い出すたびに恥ずかしさと後悔の念が沸き起こる。当時のメンバーに謝りたい気持ちもある。

その反省を踏まえて、「自分が権力を握るとどうなるのか」を自覚し、それ以降リーダーをやる際は「サルの権力」が暴走しないように気を付けていた。もちろん多少の失敗はあったが、確実に自分をコントロールする術はブラッシュアップされていった。

その私から見れば、宏一氏は気の毒に思えてしまう。それは、借金苦で闇バイトに手を染めた若者に同情したり、誰も助けてくれない環境で子供を虐待死させてしまった母親に同情したりするのと同じだ。宏一氏にもなんらかの同情があっても良いだろう。

もちろん、彼の引き起こした事態を鑑みれば、法的・社会的な断罪はされてしかるべきだ。だが「アイツは悪いヤツだった。終わり。」で片づけてしまってはいけないだろう。彼は「誰もがなりえた姿」なのだから。

我々はしょせん、ちょっとばかし理性のあるサルに過ぎない。そのサルが、トレーニングも受けるチャンスもなく絶大な権力を握ってしまえば、いとも簡単に狂ってしまう。我々はそのことを、暴君を見かけにくくなった現代で、教訓として知っておくべきだろう。


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