どの社会問題に手を付けたら良いか分からない情報化社会
情報通信技術の飛躍的な進歩により、ここ数十年で我々は、ずっと遠くにいる人々を知ることができるようになった。そして心配できるようになった。同情することができるようになった。支援の声を上げることができるようになった。それらは時として政治に大きな影響力を及ぼしてきた。
ベトナム戦争に最強国アメリカは負けた。テレビという新しいメディアの登場により、戦争の悲惨さがタイムリーに伝えられ、国内の反戦世論を抑えられなかったのが一因だ。
インターネットやSNSの登場により、ウクライナへの支援の声が高まり、逆にロシアは支援を失い苦境に立たされている。
まだ新聞やラジオが主要なメディアだったころは、本国で暮らす大衆にとって、他国の悲惨な出来事は他人事だった。君主だって、現地でどんな残虐な殺戮が行われていても、その痛みを言葉ベースでしか知ることができなかった。広島や長崎に原子爆弾を落としたルーズベルトも、ケロイド状に肌を焼かれて苦しみながら死んでいった被爆者たちの痛みは、想像はできても、共感はし難かっただろう。
映像のリアリティと、それを伝達するスピード、大手メディアを介さない大衆対大衆のコミュニケーション、スマホによる情報拡散の手軽さ。これらは我々の共感力をグレードアップさせた。なにも、戦争といった他国の大きな出来事に限った話ではない。自国内でも、小さいが当事者にとっては重要な問題を拾い上げる力を、我々は手にしている。
だが、そんな時代に生きる我々は、「他人事」の問題を解決すべく、より行動できるようになっただろうか?
イエスと答えるのが躊躇われる。
というのも、高度な情報社会において、「問題がありすぎてどれに手を付けたら良いか分からない」状態に人々が陥っているように見えるからだ。少なくとも私からは。
今日はそんなことについて書いていきたいと思う。
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インターネットでは、娯楽だけでなく、社会問題も洪水のように流れてくる。フェイスブックを開けば、毎日のように「目新しい」社会問題のニュースがサジェストされる。Twitterを開けば、トレンドのワードをチラ見しただけで「今日の社会問題」を判断した気になれる。タイムラインには共感性の高い嘆きがリツイートの波に乗って流れてくる。Wikipediaで「○○問題」と検索すれば、暗い気持ちになる記事が数多くヒットする。それらをYouTubeの検索窓に叩き込めば、分かりやすい解説が映像付きでリスト化される。
どれも、関係者の人数や度合いの多寡はあれど、解決しなければならない問題に思える。その問題によって今まさに苦しんでいる人がいる事実に向き合うこととなる。
だが、ある問題を解決すべく行動を起こそうとすると、別の声が自身の内側から聞こえてくるのだ。「その問題解決のために、他の問題は後回しにするってのかい? あんたにとって、その他の問題は優先順位が低いのかね? それって《えこひいき》じゃないかい?」と。
誰から責められているわけではない。あくまでも内なる声だ。だが、その声の理屈自体は正しく、反論するのは難しい。結果、スマートフォンをそっと閉じ、目覚ましをセットし、眠りに入る。そして翌朝になると仕事を始め、終わるとスマホを開き、同じようなことを繰り返す。
頭では分かっているのだ。たとえそれが偽善でも、えこひいきであっても、何もしないより何かをした方が良いのだ。寄付をするのも良し、環境や人権に配慮した製品や企業を調べるのも良し、政治家を応援するのも良し、ボランティアに参加するのも良し、自分で問題解決のアプリケーションを作るのも良し。
だが「それってえこひいきでしょ?」の声はかき消せず、「何もしない」という選択を毎日するのだ。みなさんもそうではなかろうか?
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情報通信技術の発達で、共感はその射程を伸ばした。だが、問題解決のために個々人が費やしている金銭と時間は、昔と大して変わらないのではなかろうか。特に、私のような、大富豪でもない、政治家でもない、一人の市民にとっては。
情報通信技術は、様々な社会問題を拾い上げ大衆に届けることには成功したが、その多様さと膨大さゆえに、「どの問題に優先的に取り組んだら良いのか分からない」を引き起こしたのではないかと思える。
世の中には、解決しなければならない問題がたくさんある。そして、多種多様だ。ためしに思いついた順に列挙すると、
少子高齢化
アメリカと中国の新冷戦
うつ病など精神疾患の増加
LGBTQへの差別
地方の過疎化
資本主義の過熱による経済格差
不登校、大人の引きこもり、8050問題
地球温暖化と気候変動
キャンセルカルチャー
難民・移民が引き起こす摩擦
日本の行政の腐敗
ファクトリーファーミングの倫理
トゥレット症候群、トリーチャーコリンズ症候群など、マイナーな病症への対応
過労死
巨大企業IT企業による個人情報の集約と漏洩
闇バイト
買い物難民
AIによる人間の存在意義への問い
介護殺人・自殺
機能不全家族
ひきこもり、ニート
ギャンブル・買い物などの依存症
本物と見分けがつかないフェイクニュース
エネルギーの枯渇
原発の有無
ポスドク難民
北朝鮮による拉致問題
インターネットの誹謗中傷
能力至上主義の元での人権
ヘイトスピーチ
ワーキングプア
性の広告化・商業化の是非
孤独死
ゴールポストの無い歴史認識論争
ナショナリズム
ロシア・ウクライナ戦争で高まる国際緊張
萌え絵、オタクバッシング
ISIL
香港デモの弾圧
旧統一教会など、政治と宗教
スタグフレーション
社会保障費の増大や増税
南海トラフ、首都直下型地震、富士山噴火
搾取される発展途上国の労働力
タックスヘイブン
入管法改正
恋愛・結婚・出産しない若者の増加
教師の不足とブラック労働
親ガチャ・子ガチャ
教育費の高騰
無敵の人
法律の抜け穴を突く犯罪
選択的夫婦別姓制度
離婚の増加
パパ活、立ちんぼ、デリヘルなどの性売買
見捨てられた氷河期世代
派遣労働の是非
排除アートのような悪意を感じさせない悪意の台頭
裁判の乱発
不同意性交罪の運用
障害者の就労
伝統文化の消失
アニメーターの低賃金
尊厳死の是非
脳死と臓器移植
学術界の腐敗
ポリティカリ・コレクトネス
日銀に貯まった大量の国債
オンラインゲーム中毒
公共の場でのモラルの崩壊
ネット通販につぶされる小売店
いじめ
発達障害
エッセンシャルワーカーの低賃金・重労働
教育虐待
技能実習生
イノベーションの起きない日本
…手が疲れてきたのでもう止めにしよう。
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上述した社会問題たちは、どれをとっても要因が複雑化して、とても個人の力でどうにかできるものではない。それらが、毎日のようにラインナップされてスマホをスクロールしても終わりがないのだ。
ある問題に心を痛め、「何か行動しなければ」と思っても、また別の社会問題が心を痛めてくる。そして何もしない安寧な日常、という魅力的な選択肢を選んでしまう。
レストランのメニュー表に書かれている料理がどれも魅力的で選ぶことができず、何も食べずに帰ってしまう客の逆バージョンのようだ。
その問題の当事者たちは口々に「まずは関心を持って知ることが大切です」と優しい言葉をかけてくれる。それは正しい。だが、社会問題が多ければ、知らなければならないことも多くなる。とても自分の可処分時間では調べきることができず、ツイッターのタイムラインをスクロールして、簡潔かつ情報の欠落した結論に満足する方を選んでしまう。せっかく社会問題について調べようと思って購入した本が、Kindleの中に何冊も積読されている。
結局のところこの時代は、情報通信技術の発達により「知れる範囲」は拡大したが、その結果、心の痛む問題が多すぎることが分かり、「とてもではないが自分ではどうすることもできない」と絶望して諦め、誰もが個人最適な行動しかとらなくなってきているのではなかろうか?
どこかを「えこひいき」して問題解決に肩入れするより、最初から問題に関心が無いふりをして、自分のこと、そして身近なことだけにリソースを費やす。人には選択の自由と幸福追求権があるのだから誰からも責められることは無い。そうして心の平穏を保ち、ゲームをしたり映画を観たりしてそこそこ楽しい日常を送る。そんな「個人最適解」を皆が選んでしまっている時代ではないだろうか?
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日本でも、よくデモが起きる。国会や、省庁や、企業の前で。シュプレヒコールや悪趣味なプラカードを画面越しに見た多くの人は「ああ、ダセェなぁ」とか「意識高www」とか「もっと効果的な方法があるだろうに」と冷笑的な態度をとっている。
だがそんなデモの様子を見て、「ああ、この問題に対し熱心に考えてくれている人はちゃんといるんだなぁ」と、心の奥で安堵している人も多いのではないだろうか。自分の代わりに「えこひいき」して、自分の代わりに行動してくれている。そのやり方に異論はあれど、「まぁこの人たちが一生懸命やってくれてるみたいだから、自分は行動しなくていいか」と胸をなでおろす。
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