赤い花 第四部
私は、意を決してこれまでのことをサトルに話し始めた。
最初は少し足の付け根に痛みを感じたことからだった。外科にかかったがよく原因がわからず、血液検査とレントゲンでの診断を経て、最終的に骨肉腫ということが分かるまでに3週間が必要だった。
若い程、進行が早いのだろう。骨肉腫と分かったタイミングでは、外科的な方法での対応は打ちようがなく、抗ガン剤治療に期待を持たせるくらいしか方法がないということだった。
それでも、私はまだ自分のことのように思えなかった。あの日、帰宅後にサトルに話ができなかったのは、まだ気持ちがフワフワとしていたからだった。実際、処方された薬を飲んだ結果、少しあった痛みは治まった。このまま、今まで通りの生活ができるのではないかと思っていた。
そのままサトルが出張に出たあと、所長に自分の口から話をして一週間、体に何の変化もなかった。医者の見立てと自分の想像に反して、大したことではないように思えてきていた。
だからこそ、サトルが帰ってきたら話そうと決心した。きっと思った以上には大したことはない。これまで通りの生活ができるはずだから、そんなに大きな迷惑をかけることもないだろう。
話をして、サトルの決心が変わらないのであれば、結婚してもいいと思って、この一週間を過ごしていた。
ところが、今朝会社の人事から契約破棄を言われたことではっきりと自分の状況を認識した。会社をクビになったのだ。もう働けるとは思われていないということだ。自分の人生が終わる。その時が目の前に迫っていることを再認識させられた。
人事の彼女に対して言いたいことはたくさんあったが、その場で言い返す気になれなかったのは、自分が見ようとしてこなかった現実をみせつけられただけのことだと、心のどこかで開き直ってしまったからだと思う。
そのまま部屋に戻ってきて、サトルが帰ってくるまで特に何も考えていなかったが、いつもと変わらない彼の顔を見たときに、私から動き出さなければいけないことを痛感した。
これ以上、私に振り回される人を増やすわけにはいかない。それが声に出した振り絞った決意だった。
話を一通り終えると、サトルはソファーから立ち上がって、台所のほうへむかった。
「喉乾いただろ?何か飲むか?」
「別に何でもいいよ。」
お茶のペットボトルとコップを二つも持ってサトルが戻ってきた。二人が同棲を始めたときにお揃いで買ったコップだった。
コップにお茶を注ぎながら、気負った様子もなく、サトルは口を開いた。
「前も言ったけど、結婚しよう。病気で辛い思いをすることもあるだろうしさ、頼ってよ。」
ミキは張り詰めていた糸が切れた。サトルの言葉に返事ができず、ただ何も映っていない目の前にあるテレビの液晶をみつめていた。
「なあ」と声をかけてきたサトルに対して口を開いた瞬間、今まで出したことのない大きさになって叫んでいた。
「どうしてそんなことが言えるのよ。私の話、ちゃんと聞いてた?私、死んじゃうんだよ。もう助からないんだよ。。。」
最後はスピーカーの音量のツマミを絞るように声がだんだんと小さくなった。その代りに今度は体が震えだしてきた。目から涙があふれてくる。どうにもならない感情がミキの胸と心を揺さぶっている。
未来のない自分に希望を見せるような言葉がミキの心に障った。サトルは決してそういうつもりではないことをミキは分かっているが、将来のある彼の人生を考えると無思慮な妄言のように聞こえた。
ミキには彼と人生をともにする時間は残されていない。サトルが泣いている私を抱きしめようとしたから、大きく振りほどいた。
「出て行ってよ。顔も見たくない。何も私のことを考えていないよ。ひどいよ。私は、私は。。。」
少し困った顔をしながら、サトルは言われたとおりに出て行った。ドアが閉まってからドアノブが回り、静かに鍵が閉まった。
ミキが話してくれた。帰ってくるまでは、少し出張の疲れがあるように感じたが、全部吹き飛んだ。
この一週間、色々と想像したけれど、最悪なパターンが当たるなんてと一瞬呆然とした。
でも、結婚はその場しのぎで言ったつもりはない。本当に結婚したいと思った。残された時間が僅かしかないのだったら、その時間を二人で大切に使いたい。その決意を言葉にしたつもりだったけど、ただ彼女を刺激してしまった。
暖かくなってきたとはいえ、まだ少し寒さが残っている。街灯の下に設けられた灰皿にタバコの灰を落とす。タバコを吸いながら、この後のことに考えを巡らす。ミキは感情が高ぶっている。落ち着いてもらうことが第一だけど、自分の気持ちを正しく伝えたい。
そのためにどうするか。
夜の冷えた風が煙とともに肺に入ってくる。吐き出す空気まで冷たいように感じる。
「伝えたいことなんて一つじゃないか。俺はミキが好きだ。一緒にいたいんだ。」
タバコを一本吸いきって灰皿に押し付けた。
ミキの待つ部屋に戻ろう。
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