混沌さ
3年前から学びはじめたホロスコープ、1年半前から始めた夢日記(夢分析までは至っていない)、今年からはじめたタロットカード。
いずれも混沌とした無意識の領域からの象意を引き出し、自分で意識していないものに意識を当てていく手立てではないかと最近思う。
夢日記は、起きたタイミングでほとんど記憶にない場合や、詳細に覚えている場合とさまざまである。いずれにしても、夢日記用のノートと鉛筆を身近に置き、目が覚めたらすぐに書くということを意識している。
この積み重ねの作業を通して、夢をノートに書くという行為が自分の中で定着し、その書き方もだんだんと変化しつつある。
言うまでもないが、夢の世界は混沌としており、日常では合うはずのない人と出会ったりする。
そして物事が深層的な形で記憶として残っていく
河合隼雄先生の夢分析の本でも夢の内容でも無意識からあらわれているものと、単に前日に読んだ本や出合った出来事による影響も合わさって出てくるので、それを切り分けて観ていくことがポイントであるようだ。
夢分析のコーチと二人で行うならば、コーチによるガイドがあるので、この見極めも可能であろうが自分で自分自身の夢を見極めていく作業はなかなかハードルが高く、時々、困難さを感じることがある。
従い、1回の夢だけで分析するのではなく、全体の傾向としてどういう内容の夢で、そのときにどんな感じを受けるのかという視点でみている。
以前に述べたように私は仕事関係の夢の割合が高く、特に同僚と新幹線に乗ったり、乗ろうとしている内容が多い。
マドモアゼル愛先生の「夢占い大全」でも繰り返し見る同じ夢は人生と道しるべと語られており、夢が私自身に伝えたい、知らせたいメッセージであることが多いようだ。
新幹線に乗る夢は、順調に物事が進むという暗示で、生き方の方向性を変えたいと思っているならばそのチャンスが来ていることを示しているとのこと。
仕事に関わる夢も仕事が忙しいのか暇なのか上司が登場するのか等、その状態により暗示するものは変わってくるようだ。
私自身、夢を通して象徴するものを受け取っていきたいということを意図しているので、あまり夢を細かく分析するという必要はないかなと感じている。
いずれにしても新幹線に乗り込む場面や、同僚と一緒に仕事をしている場面、義弟にビールを準備しようとしている場面などが交錯した形で記憶に残っているので、その記憶の中から何を象意として受け取るのかということがポイントになる。
これはホロスコープやタロットカードの象意も正反性も含めて複数存在しており、その中から何を象意として受け取るのかは、私自身の感覚に委ねられている。
私の日常の中の選択においても同様な要素が含まれている。
図書館で本を選ぶ際も、私はゆっくり時間をかけて書架を背表紙を見ながら本を探す。理屈ではなく、何かピンときた本を借りるように意識している。
同様にnoteにしても、今日のあなたにおすすめでふと目にした方や、スキをしてくれた方の投稿を通して素敵な方と出会う機会がある。
いずれにしても、こちらから求めるのではなく、受け身の姿勢である。
これは、写真や俳句も同じで、こういう写真や俳句を作りたいというのではなく、散歩して出会ったもの、出会った場面でピンときたものを写す、言葉にしてみるという作業である。
受け身の姿勢は、授かることにもつながる。
私たちが見えない力に支えられていることの裏返しなのかもしれない。