意識を外に向ける
丹野清志氏の「なぜ上手い写真が撮れないのか」という本は機会あるたびに繰り返し読んでいる。
写真だけに限らず、被写体と向き合う姿勢に関して普遍的な内容に言及されているように思う。
上手いという意味合いは、表現力が高い、切り口が新鮮、月並みでない、受けを狙っていない等いろんな要素があるかと思う。
本書の中で気になるメッセージを私の備忘録として以下に記載した。
私自身、写真&カメラが長年嫌いであったが、ブログを始めて表現をすることがトリガーとなり俄然と興味が湧き、それからは散歩やどこかに行く際はカメラを鞄に入れるようになった。
写真は俳句と実に共通する要素が多い。
・出会った光景、ものをどう切り取るのか
・単なる風景を切り取るだけでは月並みとなる
・多作多捨する中で、自分なりに残すものが浮き彫りになる
・複数の写真、俳句を並べると、その連動性も含めた物語、テーマが浮
き彫りになる。
・意図せず出会うことで新しいものが生まれる
きしくも最近のnoteの以下の投稿内容にとても共感するものがあった。
いつもの散歩する道でも季節や天候、時間が変わると大きく風景を変えてくれる。
そしてカメラに被写体をただ意識することで、出来栄えはどうであれ、その過程でエネルギーが入ってくる。
意識を外に向けるという点でも写真と俳句は重なるが、それにより意識を内側に向けて自己否定という連鎖になりやすい私においては、日常の安定を保つための貴重な存在となっている。
なぜ写真を撮るのか|broccoli_eiki (note.com)
朝の散歩でも1枚も写真を撮らずに帰ることもある。
先日も何も撮らないままに帰ろうとした際に、金網に昨夜の雨の雫があるのを見つけ、それをマクロで撮影してみた。
背景も雫の中に色合いとして溶け込んでおり、不思議な味わいを醸し出していた。
新涼や雫の中に青き空