多作多捨
今は亡き波多野爽波氏は俳句結社「青」を立ち上げられ、とにかく俳句を沢山作る作業を身体で覚えていくというまさに体育会系の指導方針で、故田中裕明氏や岸本尚毅氏などの俳人を育ててきた。
関西の同じ結社のメンバーでやはり青のメンバーであった方がおられるが、その俳句には実に安定したゆるぎないその方なりの味わいが溢れている。
頭ではなく、自転車に乗るように身体で身につけるということの基本の大切さを感じるこの頃である。
私が俳句と出会ったのは15年ほど前に長女の中学の学園祭で俳句の展示を見たことがきっかけである。そして家内の知人が俳句をやっていたのでその知人が入っていた結社に入って今に至っている。
今の結社の代表は、以前のnoteでも書いたが、とても飾り気がなく、形式的なイベントや上下関係を嫌う方で、とても水瓶的で時代を先取りしている方であり、このご縁も本当に不思議で有難いことだなと感じている。
1年半前に別の知人の影響を受けてnoteの投稿をはじめた。その投稿を通して今まで嫌いであった写真にカメラがいいなと感じるようになった。
以前にも述べたとおり、写真、カメラは、それまでの私にとっては今を感じることを妨げていく存在であった。
ブログを投稿重ねていく中で、カメラが欲しくなりとうとう今年春には10年前のコンパクトデジタルカメラ(RICHO GR digital Ⅳ)を購入した。
それからは朝の散歩や吟行の際は、このカメラをバッグに忍ばせていくようになった。
俳句の多作多捨は、まさに写真の場合もあてはまる。自分で良かれと思っても帰宅して見てみると構図がおかしかったり、単なる記録でそこから余白を感じられなかったりして50枚撮影しても残せるのは2,3枚。
その写真に俳句を添えて毎朝、インスタグラムに投稿するのがルーチンとなった。(ホロスコープ的に地の要素の牡牛座、乙女座、山羊座に惑星が多いので、淡々と同じことを積み重ねていくことは得意)
俳句は、句会を通して他者の目が入るので、自分では良かれと思ったものに対しても気がつかないメスが入る。
反面、写真はそういうわけにはいかないが、インスタにアップすることで他者の目に触れるという緊張感は生まれる。
俳句は五七五と短い形式で季語や切れを入れるという暗黙のルール、制限が存在することで行間で言葉ではないものが立ち上がってくる。
写真の場合も、言葉ではうまく表現できないが、撮影後に50枚の写真を見ていった際に目が止まる2,3枚のものには、俳句でいう余白が存在するように思う。
それは、構図、光の入り方、色合い等だけではない、その場に出会った緊張感のようなものも関係するように思う。
最近、写真と俳句に加えて音楽を重ねてみたいと思っていた矢先に、マドモアゼル愛先生つながりの方が、スライドショーで写真と俳句を見せたらとコメントをいただいた。
スライドショーの動画は、意識したことはなかったが、このコメントで扉が開かれた感じがした。
さっそく写真のスライドショーの作成方法を調べたら特別な動画ソフトがなくてもWindows10に含まれている「フォト」というアプリに動画編集ソフトがあることを知った。
最初のスライドショー作成はWindows 10「フォト」から始めよう (wondershare.jp)
著作権フリーの音源もとてもたくさん存在していることに驚いた。
2年間まではSNSには無縁で、ガラケーを愛用していたが、マドモアゼル愛先生の動画を見はじめて、Facebookをはじめ、昨年noteでブログを投稿してから写真にも関心が高まり、今年初めからインスタグラムに写真と俳句を毎日アップするようになった。
そして、さらに動画にも関心が高まってきたのは、月乙女の制約が外れ、3室牡牛座26度の太陽が輝き(双子座を意識)、五感を意識した表現を誰かに伝えたいという衝動が働きだしたのだと受け止めている。
これからも定期的に動画にしてアップして楽しんでいこうと思います。
鳥影が鳥影を追ふ晩稲刈
※俳句と写真日記を毎日更新中