見出し画像

蜜蜂と遠雷


居間のテーブルの上に馴染みのない分厚い本が置かれていた。
恩田陸氏「蜜蜂と遠雷」で家内がお花の先生から頂いてきたようだ。
「蜜蜂と遠雷」は7年前に直木賞と本屋大賞を獲得し、映画化にもなったようだが、私は読んだことがなかった。

『蜜蜂と遠雷』恩田陸 | 幻冬舎 (gentosha.co.jp)


ピアノコンクールを舞台とした500ページにわたる長編。
読みだしたら、登場人物の予測のつかない演奏やその演奏による演者の隠れた才能が開花していく過程がとてもスリリングで、一気に読んでしまった。

養蜂をする天才肌の主人公が、ピアノコンクールの会期中に宿泊先の花屋のご主人に「野活け」の技と出会うことなどは家内のお花の先生の在り方とも重なった。
また、奇しくも昨日、我が家を訪れた義弟も長年野の花を活けることやピアノをやっており、この本をかつて読んで蜜蜂を育てることにも一時関心をもったと語ってくれシンクロニシティ的なものを感じた。


この天才少年は、音符の群れを広い外の世界に連れて出すことを亡きピアノの師からの遺言と受け止めていた。

その過程の中での少年の気づきの表現が少年の意識エネルギーと重なり、他の演者や聴衆の意識エネルギーと共振していくイメージを感じた。

演奏者たちの中に、その自然はあった。彼らの故郷の風景や心象風景は、脳内に、視線の先に、十本の指先に、唇に、内臓に蓄積されている。
演奏しながら無意識のうちになぞっている記憶の中に、彼らの豊かな自然は存在していた。

蜜蜂と遠雷より引用

一瞬というのは永遠なんだ。その逆もしかり。最上の一瞬を作る瞬間は、活けている僕も最上の一瞬を生きていると実感できる。その瞬間は永遠でもあるんだから、永遠に生きているとも言えるね。

蜜蜂と遠雷より引用


ピアノコンクールという競争の場で、養蜂をする天才が繰り広げる演奏は、競争相手や審査員、聴衆の無意識の感情を揺さぶる。
競争相手も意識していなかった才能をコンクールの最中で開花させていったり、審査員間の人間模様に変化の兆しを与えたり、亡き母との記憶から自覚できていなかった感情を呼び起こしたり。

まさに無意識への起爆剤としてのピアノ演奏となった。
意識のエネルギーは本来は共鳴し合うものである。芸術的な海王星や金星の要素は、濃淡はあるにしても誰もがもっているはずのものであり、それが意識エネルギーとして発揮されていくのだろう。


パリで養蜂をする天才少年がコンクールの第三次のステージで最初と中盤と最後に入れたエリックサティの有名は「あなたがほしい」は、本来ならばコンクールで弾かれるような曲ではないようだ。
天才少年が無意識の扉を開けて亡き師との記憶を呼び起こすための触媒としてこの曲が繰り返されたのではと感じた。
このことは、会場に存在する競争相手、審査官や聴衆のそれぞれの無意識を刺激する触媒にもなっていたように思う。




耳澄ますエリックサティ草の花

いいなと思ったら応援しよう!