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動けない
人生まだ45年生のしげのじゅんです。
今まで 子どもの頃から
周りと自分が違うように感じて
そこにいるのに空間が切り離されている感覚がしたり、
内側にむかって なぜだ?
なぜ生きている?
なんて思春期を過ごした事があります。
ちょっと人間関係にも 距離を置きがちな
気質です。
離婚するまでも その後も
私の中では壮絶な出来事に感じてたし
離婚後は1番どん底だと感じて
心を閉ざしていた時期もありました。
人間関係ももちろんです。
体調は最悪でした。
金銭的にも苦しくて、子ども達にはなんとか食べさせるけれど 自分が食べないのは平気だったせいか…いや、意識の方が体調に大きく関わっていたと今は思います。
動けなくなる日は、子どもの頃から
たまにあって、神経痛とか偏頭痛とか。
結婚してからは、朝本当に起き上がれないことも。
離婚後は関節症や全身の体の痛み。
救いだったのは、「子ども達の為に生きる」こと
でも、今考えればそれは建前で
「子ども達の為に生きなきゃと思い込んでいる
自分の為に生きる」だった。
結論は「休みたくて生きている」だった。
頭の中では「休みたい」が連呼してるけれど
生活は止まれない。
無意識が私を調整したのは、
午後からなら なんとか気力で動ける。
だった。
午前中は痛み止めを飲んで仕事に行く事を
繰り返してた。
朝は体の痛みで何もできない。
ゆっくり着替えて出かけるのがやっと。
お昼に一旦帰って寝ないとやっていられなかった。
夜に動ける様になってから、最低限の家事を
済ませる。
それでも、「動けない」「また明日痛みがひどくなるかもしれない」
不安と恐怖しかない毎日。
不安と恐怖の感情が共鳴するのは
腎臓。
腎臓もずっと調子がわるかった。
その現実から抜け出したくて、
何かやろうとするけど
やっぱり動けない。続かない。
「ある、すでにある」
スピリチュアルだったか、神道か
YouTubeを見ていて何度も聞いた言葉だった。
その頃の私は
動けない、ない、
お金がない、ない、だった。
ないのに、あるって思えないよ。
あ、また ない だ。
これに気がつくことから始まった。
動けなくてもいい、動かない自分がある、いる。 許可
あー、今日もたいして動けなかったなぁ〜
許可
ご飯いつも通り食べられたな 許可
我慢せずトイレ行けたな 許可
夜更かししちゃったけど、寝れたな 許可
布団畳めなかったけど、夜ラクだな 許可
小さい小さい 出来た 許可から
ふぅ〜って一瞬の「安心」を感じて目を閉じて味わう。
あー、また だるくて出来なかった…あ、出来なくても良かったんだー 許可
動けない私 うん、今日も休めてるわ 許可
動けないと焦るよね うん、焦って当然だもんね 許可
そのうち元気になるから大丈夫 安心して
って
少しずつ自分を許可して 許可の洗脳し直す
毎日だった。
必要なだけ、休みなさいって事だったんだと
思う。
上手に休めなかった分
休みたいって言えなかった分
あの頃 動けない事で 休めたんだ。
動けないあなたも、
責めなくたって 今は大丈夫。