5月24日

 この日は特別な日として僕のカレンダーに記録してある。項目には「パリスの審判」と書いている。
 念のために noteを検索してみると、たくさんあります。多くの方がこのテーマに興味をもち、書いています。ただし、この日に限定した僕が語りたいのは、ワインのことです。
 とテーマを絞ると、noteの記事も1割くらいになってしまいます。
 英語で『Judgment of Paris』という、Parisというのはパリではなくパリスという若者の名前、これがオリジナルのギリシャ神話によるもので、多くの方が触れているのがこのギリシャ神話なのですね。この話はこれでたいへんに面白いのですが、またそのギリシャ神話を題材にして絵画が描かれています。しかもその多くは女性のヌード姿、その美しさが描かれているのです。ルノワールを始め、ボッティチェリ、クラナッハ、ルーベンス、など名だたる画家たちが描いています。
 そしてこれがワインの話になるのは 1976年からです。この年の5月24日にパリでワイン ショップを営業していたイギリス青年がワインの試飲会を開きました。その提案をしたのはお店でパートナーとして働いていたアメリカ人女性の Patricia パトリシアGallagherギャラガー、この年はアメリカ建国200年に当たり、「何か特別な企画を」と考えたわけです。アメリカはイギリスから独立したのですから、ワイン ショップのオーナーである Stevenスティーヴン Spurrierスプリエにとっては祝うべきイベントとしてはふさわしくない、だけどこのアイデアには飛びつきました。面白いものなら何でもやってみよう、そういう気概がある青年でなければ、もともとイギリス人でありながらパリでワイン ショップをやるという無謀な夢は抱かないだろうと思います。
 そのイベントのアイデアをパトリシアが持ち出したのが前年の 1975年、その準備を進めるのに半年以上の時を掛けて1976年5月24日に実施されました。このイベントについてはもう語られ過ぎていますので、ここでは繰り返しませんが、それまで全く無名だったナパ バレーが世界の舞台に登場するきっかけになったものですね。このイベントが「パリスの審判」と言われるようになったのは、このイベントを取材したたった一人のジャーナリスト、Georgeジョージ Taberテイバーの功績と言えるでしょう。このイベントとギリシャ神話を結びつけて記事をタイム誌に書きました。
 この話題は「ナパ バレーが」、という書き出しで語られることが多いのですが、本当はもっと重要な意味があって、それはワインの世界の流れががらっと変わってしまうほどのインパクトがあったということなのです。このイベントに関わった人たちはそのことを語ります。が、このイベントはたいへんに面白いので誰でもが「ナパ バレーが」という視点で語ろうとする。この話を元にした映画まで作られました。それは実は残念なことでもあるのですが、コメディ仕立てのエンターテインメント作品です。
 このイベントの主催者たちも高齢で、このイベントでトップに選ばれた白ワインを作った Mikeマイク Grgichグルギッチは 99歳、同じくトップだった赤ワインを作った Warrenウォレン Winiarskiウィニアースキィは 94歳です。主催者スティーヴンはこの春に他界されました。パトリシアはパリでまだご存命です。こうした人たちもいつかいなくなってしまうことを考えると寂しいものですが、だからこそ僕たちは過去を愛しみ、大切に語り継いでいきたいものです。
 そう考えながら僕は Grgich Hillsのシャルドネをいただきました。

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