Miljenko Grgich
今日はNapa Valleyに行ってきましたので、その話を少し。皆さんはMiljenko Grgichという方をご存知ですか?ナパ バレーでは名士、伝説的な方です。ワイン業界では『シャルドネの王様』として名前を世界中で知られています。
現在でこそ、ナパ バレーと言えばワインの名産地として知られていますが、そうなるには 100年以上の時間が必要でした。まだナパ バレーがほとんど無名だったところから一気にワインの名産地として知られるようになった、その大きな功労者の一人がミルエンコさん。そのことを了解するには1976年にパリで実施された『パリスの審判』と、続いて1980年にシカゴで行われた『シカゴの一大対決』の話をしなければなりません。どちらもワインのブラインド テイスティングです。それについてはとてもここでは書ききれませんので、別の機会に譲ることにして、ここではミルエンコさんの近況だけをかいつまんで書くことにしましょう。
ミルエンコさんはクロアチアの方です。そこでぶどうの栽培とワインの醸造学を学び、いずれはカリフォルニアというパラダイスで自分のワイナリーを持ちたいという夢を描きます。そうして実際にカリフォルニアのナパ バレーに来た時は 35歳になっていました。ミルエンコさんは自分の生涯を振り返って自伝をまとめています。『奇跡に溢れたワイン グラス』という本ですが、奇跡的な出会いや出来事に満ちた人生だったことがよくわかります。
そのミルエンコさんも今は 98歳。今日お目にかかったのも(Covid-19のせいで)5メートルほど離れてお姿を拝見するだけというものでしたが(上の写真の中央に小さく写っています)、クロアチア ワインのボトルに記念のサインをいただきました。この方がワインの歴史を変えるという偉業を成し遂げた人だ、そう思うと畏敬の念が湧いてきました。ミルエンコさんの身辺のものや旅行カバン、ワインの教科書などは「アメリカ人の生活を変革した人たち」としてワシントンD.C.のスミソニアン博物館に展示されています。
その偉業が成し遂げられたのは、子どもの頃に父親から与えられた3つのアドバイスを愚直に守ってきたから、と言います。
① 自分のベストを尽くすように
②毎日新しいことを学んで、明日の自分が今日の自分よりも良くなるように
③ 友だちと仲良くするように
たった3つのアドバイスで自分の夢が叶えられ、振り返ったら自分は偉人と言われるようになっていたのでした。いつかこの話は詳しく書きますね。