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僕と妻との544日間の記録_17 余命宣告

現在:2025年2月26日

相変わらず妻を失った喪失感と生きる目的を失ったまま。
しばらくnoteはお休みさせていただきます。
明日から虚無の旅に出かけます。
台湾を経由してベトナムへ。
そのために今日は初めてグリーフケアのカウンセリングを受けます。
そして妻の携帯を解約してきます。
日本にいる間にやれることをやっておこうと思っています。

旅の目的は
毎日が嫌でも生きる事をしてこようと思います。
そして何かを感じてこようと思っています。
何があるかわかりません。
何もないかもしれません。
妻が亡くなってから何もしていない自分。
何もしないより少しはマシかな。
一歩、外に出てみようと思います。

そして今日。
久しぶりに妻の夢を見た。
会えて嬉しかった。


2024年10月5日:35日
日記より

検査の日。
状態が良くない。
初めて余命を告げられた。
余命がわずかだそうだ。
3ヶ月、1ヶ月。
妻は何を思ったのかわからない。
何を考えたのか。
弱音を一切吐かない。
ずっとそうだ。


2024年10月6日:34日
日記より

本当は三峯神社に行く予定だった。
義兄が急遽、家に来ることになった。
少し嫌な気がした。
来週行こうと妻に言った。


2024年10月7日:33日
日記より

動くのも辛い。
一日の中で体調の変化が激しい。
妻の痛み。
ここでなくもっと静かな家に住もうかと聞いた。
しかし妻はこの家に愛着があると言った。
少し嬉しかった。


ここまで妻はよく頑張っていた。
2024年の夏頃から少しずつ体調が悪くなっているのを感じていた。
だからとても急いだ。
仕事のこと。
家のこと。
もっと静かで穏やかに暮らせる場所。
仕事をせずに24時間一緒にいられる環境。
気持ちだけ急いでいた。

そして余命を告げられた。
3ヶ月。
進行状況によっては1ヶ月と言われた。
今まで先生にどのくらい生きられるのかなんて聞かなかった。
聞きたくなかった。
それより今生きていることを信じたかった。
だから一切、余命なんて聞いてこなかった。
だけど言われてしまった。
それでも信じない自分がいた。
認めたくない自分がいた。

帰りの車中。
妻と何を話したか覚えていない。
1年以上通った病院と家との往復。
1時間半ほどの距離。
この時間が好きだった。
治療をしている。
今日も生きてる。
二人で家に帰れる。
そんな日々を過ごしてきた。
でもそんな些細な日常すらまた奪われそうになっている。

今日はここまで。
それではまた。
無事に帰国したら会いましょう。



妻はいつもこうして僕を撮っていた。 そして、それに気が付かない自分がいる。
妻はいつも後ろからそっと見守ってくれていたのだ。

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