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papa_grayhair
小説を“消費”していないか? 村上春樹を読み返して気づいたこと
村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読み始めた。
同じ小説を何度も読む習慣はあまりないのだが、この小説は『風の歌を聴け』に次いで好きな作品で、何度か繰り返し読んでいる。
ふと思い出したが、一度読んだきりで棚にしまったままになっている小説や、売ってしまった小説がたくさんある。つまり、小説でさえインスタントに消費していた。
村上春樹は独特な文体で読みにくいうえに、展開が遅いものもあり、「他の娯楽小説のほうが読みやすい」と何度も思った。しかし、他の作家たちの小説が心に残る内容だったかというと、そうとは言い切れない点も多かった。
小説や漫画を「紙で読むか」、それとも「電子書籍で読むか」という論争があるが、昨夜、僕の中ではその結論が出た。それは紙だ。
もちろん、昨夜使用していたのはタブレット端末で、Kindle Paperwhiteのようにブルーライト対策がされていなかったこともあり、この結論は変わるかもしれない。しかし、今のところは紙に落ち着きそうだ。
紙はかさばるうえに保存が難しく、直射日光に当たると途端にみすぼらしくなる。しかし、何度も繰り返し読むような小説ならどうだろうか。それなら悪くないように思える。
今の僕は、再び好きなものに向き合う自分を取り戻している最中だ。あのとき、何かしらの理由をつけたり、どうしようもなく忙しくて読めなかった小説たちを、自発的に読んでみようではないか。
『騎士団長殺し』も前半までしか読んでいない。今の小説を読み終えたら、再開しようと思う。