1cmでも遠くに跳ぶために
ずっと大切にしていること
「1cmでも遠くに跳ぶために、犠牲を払ってでも努力をすることの何が悪いの?」
私は常にこう思って陸上競技をやっていました。
陸上競技は自分を表現するツールで、できれば将来もこのツールを活かして何か利益を生みたい。
そう思っているので、記録にこだわるのは当然だし、多少の犠牲を払うのは変なことではないと感じています。
夜遅くの予定を断ることも
研究室の飲み会でウーロン茶だけ頼むことも
練習中無駄話で盛り上がらないことも
全て競技者としての価値向上、記録向上のためにやってきました。
何よりも子供の頃から憧れる対象がそういう感じだったので、今更人に合わせるとか馴れ合うとかできる人間にはなれないみたいです。
世の中にはそういう人ばかりではない
ただし、世の中には私のように「結果を出すために犠牲を払うのは当たり前や」という人ばかりではないみたいです。
それは学部4年間でたくさん学びました。
なので、今は「周りにはいろんな人がいて、1人1人いろんな価値観をもってる。その1人がただ私なだけや〜」と受け入れられています。
私は学部時代本当に子供だったので、陸上競技を取り組むにはこれが正しい正しくないとか、ほとんど正誤で判断していました。
その分たくさん苦しみましたが、なんとか自分の考え方を受け入れる方法を見つけ、その上人の考えも受け入れられる人間になれていました。
でもやっぱり最近
結果を残すことができた7月の県選手権が終わってからだんだんと自分がおかしくなっていきました。
県選後はさらなる記録を出そうと、全日本インカレの標準記録に挑戦しました。
結果として標準記録を切れませんでしたが、全力を尽くしての結果だったので自分の中で吸収してしっかり次に向けて努力しようと切り替えました。
ただ、私の悪い結果をうまく利用してチームメイトから心無い言葉を何度か受けました。
内容は伏せます。同じチームにいる人間として受け入れないといけないことです。
私はその発言に対して言い返すような言葉は一切吐かず受け止めました。
でもあえて返すなら
「こっちは遊びで陸上競技をやっているわけではない。」
私の性格上、どうしても悩みは飲み込んで溜めてしまうタイプなので、そこから何か気持ちがおかしくなりました。
27代戦も、「優勝をしたい」というより「負けたらまた嫌な気持ちになるから勝とう」と思ってしまっていました。
最近でもしっかり調整して狙っていた記録会で自己ベストすら更新出来ず、わけがわからなくなって少し体調を崩しました。
私は私
体調を崩している間、ふと思ったのは「結局自分は自分でいるしかないのでは?」
誰がなんと言おうと、私は1cmにこだわってずっと陸上競技をするし、他の人は他の人なりに好きなように陸上競技をする。
1cmでも遠くに跳ぶことにこだわり続けて問題ない。
自分のために努力することに間違いはない。
誰に何を言われても気にする必要はない。
私が思ったことすることすべてが私という一人の人間の生き方である。
そんな解に辿り着きました。
私はもう大丈夫です。
でも本気で陸上競技をやっている人間に対して、気持ちを侮辱するような発言はその選手への一生の傷になるかもしれない。
それだけは気をつけてほしいと心から思います。
そして願うなら、本気で陸上競技に取り組める環境で競技をしたいです。
最後に
なかなか病んでること書いてると思われた方。
意外とスポーツを本気でやると気持ちの変動はすごく大きいものと気づきます。
なので、なるべくその気持ちの変動が伝わるようにこれからも感じた想いは書き留めるようにしてきます。
共感はされないかもしれないですが、こんなこともあると感じてもらえるだけで嬉しいです。