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マクロレンズの世界 vol.8 アート

’対応する音のない色’
’チェロとフルート’
'雨を奏でるホール'
'大事にしている楽器'
'赤の肖像'
'祝福'
'春を温める'
'Home'



アートと内部照会


1)美の感覚

ヒトを誘導する「快(感)」には、ざっくり3種あります
 ・生理的な快
 ・利的な快(利得、利権、それらの展望と夢想)
 ・美的な快

美の感覚がヒトに搭載された背景は不明です。
しばしば、音楽、虹、宝石など生存との関連が不明なものにも反応します。

僕は数学の解法に美を見出しますが、
数学の歴史は浅すぎ、生物の進化で説明するのは難しいです。

美の感覚を司る場は、特定されていません。
MRIで特定できないことから、おそらく場は小さいでしょう。
ミラーニューロン同様、美も単一の神経細胞で賄っているかもしれません。

仮に場を特定できたとしても(実体)、美の説明(実態)には不足です。
論点は、美感を司る神経細胞が、想起網の何とリンクしているかです。

① 物理
不協和音には、ほぼ人類一律で「美しくない」の反応が現われます。
脳のシステムと絡んでいたり、脳地図で近位の接続先があったりすると、
高頻度で同じ反応になるかもしれません。

② 従前(継承)
昆虫は光に突っ込むとき、「美しい! 美しい!」と叫んでいそうです。
走光性は単細胞生物にも観察されます。
生物は継承しながら作っていくので、祖先の性質が残る機会は多そうです。

③ 生理・利との整合
淘汰背景がある励起(生理の快・利の快)と整合する傾向は出るでしょう。
澄んだ水、花や緑、広い土地、片付いた部屋、健康美は整合タイプです。

④ 背景希薄
背景が希薄な接続には、ばらつきが出そうです。
「美感」「美意識」の対象は差異をもって散らばっているように見えます。   
 アフリカの布柄、インドの宝飾品、フランス料理、ギリシャの建築様式。
 日本の有終の美、キリスト教の聖母信仰、ハワイのレイ文化などなど。

⑤ 信号入力および前処理
美感の照会に到達するには、信号入力、および情報の前処理が必要です。
色弱者が、色の妙を尽くした絵画を、美と判定する可能性は低いです。
知らない外国語の詩を、意味も含めて、美しいと判断するのは無理です。
プログレやインプロを聴いて意味不明に感じるのは、美以前の状態です。

⑥ 脳内の生化学
身体損傷時に美の感覚が増強する現象が複数,、報告されています。
例. 「死にゆく者からの言葉
鬱状態では、何を見ても無感動になると言われています。
神経細胞の動作には、配線だけでなく、神経伝達物質も関係します。


美の概念は、古今東西あります。
想定される実体は小さく、実態も複雑かつ不詳ですが、
「クオリア(意識内容)」において、重要な感覚といえるでしょう。

冒頭から難解で申し訳ないです。

色や音程は、波長(周波数)の差にすぎない。
ヒトの脳に入ってから「美しい絵画」「美しい音楽」になります。

対象が美しいのではなく、
脳に審美の機構が備わっていて、美の感覚が励起する、
そこだけわかれば大丈夫です。

2)アート

アートの原義は「人為」、つまり人が作ったもの、です。

自然が生み出した造型はアートではないです。
アンドロメダ銀河は美しいですが、アートではないです。

人が、
 ①  造形に着眼し、これを表現したいと思い立ち(表現欲)
 ②  ああでもない、こうでもないと吟味して作り上げ(作為)
 ③「これで表現できた」と出来栄えに納得したら(成立宣言)
アートです。

3~4万年ほど前の岩絵がみつかっていますので、
そのころにはもう、ヒトの祖先は描くことに憑り付かれていたのでしょう。

アートにおいて、美は、目指しても目指さなくても、どちらでもよいです。

つらい記憶、不安、幻視などを表現する人がいます。
心の感じをずばり「こうだ」と表せたら、気持ちが落ち着く気がします。

全体としては、美しい絵を描く人が多いです。
手間はかかりますが、完成品を眺め、心地よさを味わうのは楽しみです。

自分にとっての美が、他者にとっても美に感じられることはよくあります。
使用する脳は人ごとに違いますが、ある程度、似た反応が出るのでしょう。

作品のアート性は、他者からの評価では決まりません。
基点は常に作者にあります。

まったく見向きされなかったとしても、
当人が「表現できた! 私はこう描きたかった!」の境地に至ったのなら、
n=1の納得はそこにあります。


3)写真登場

「やあ、やあ」
ストランド・ビーストよろしく、カメラが三脚で歩いてきました。

写真は広範な有用性を備えていました。
写真の可能性を探り、ありったけ展開する大仕事が目の前にありました。

初期に「ピクトリアリズム」という、絵画をなぞる動きが生じましたが、
前代未聞の大仕事を前に、その潮流はかき消えたように見えます。

写真は、独自の展開を始めます。

報道写真。著名人の肖像。解説写真。科学写真。記録写真。図録。
商品写真。ブロマイド・ピンナップ。人気のある観光地の風景。
記念写真。育児記録。趣味物の写真。

たくさんの人が、あらゆる対象を写し、さまざまな考察をしました。

今では、写真は生活に溶け込んでいます。
画像がない記事に「画像ないの?」と不満を言う人もいるぐらいです。

近年の変化を取り上げるとすれば、
カメラが、デジタル化、小型化したことでしょうか。
手軽さを背景として撮影人口が急増しました。

撮影人口が大きくなると、アート視点で撮る人口も増えます。


4)撮影とアート

写真にもアートの道は開かれています。
ただし、写真という手段に由来する、限界とクセがあります。

① 実在に依存
写真は実在ありきです。
絵画は、実在/心象、両方とも対象で、発起順序と混合比は自由です。
撮影活動の継続には、実在に依存している自覚が必要になります。
「撮りに行く」「美を見つける」「実在を作る」は定番です。

② 対象が広い
どう撮るか以前に、何を撮るかに、審美労働の配分があります。
絵画が道を固めた、人物、動植物、静物、風景はふつうに対象にできます。
加えて、絵画の伝統がない広い分野に、熱心な写真家がいます。
シズル写真、水滴を狙うマクロ写真、円弧が美しい天体写真、
水中写真、鳥瞰写真、高速度撮影などは、独特の境地に達しています。

③ 作為の機会
写真では、シャッターを押す瞬間に、裁量が集中します。
絵画では、一筆ごとに吟味します。

④ 創案と審美の比重
全体として、
 絵は、審美 < 創案、
写真は、審美 > 創案、
です。
写真は、取捨の工程で、審美の力を問われます。
一筆ごとに慎重に吟味して階段を上っていくコツコツ型と、
怒涛の夏休み最終日みたいな違いがあります。
この審美労働の疲弊は大きく、ここで潰れると写真家になれないです。

⑤ 偶然性と瞬間性
写真では、偶然が出来を左右することがあります。
「風景撮影で、たまたま画角に入った鳥の位置に妙があった」
撮影者が対象を完全掌握していなくても写ります。
絵画にも、にじみなど、偶然性がありますが、写真ほどではないです。
写真は、しばしば瞬間にこだわります。
ミルククラウン、羽を展開した甲虫など、ここぞの妙を狙います。

⑥ 構図偏重
写真は、長らく構図の美に偏重してきた歴史があります。
実在依存という縛りの中で、裁量が効く要素だからでしょう。
報道写真で、過剰に美しい構図が提示されることがあります。

⑦ 白黒表現(グレースケール)
白黒時代があったせいで、写真は今も白黒文化が続いています。
絵画において彩色は常態で、美術学校に入学したければ、
素描と彩色、2試験とも合格する必要があります。
色の感覚が弱い人は、白黒写真で詰めていくのもよいかもしれません。

⑧ 質感表現
写真は質感表現が得意なはずですが、
ソフトフィルター、ボケなど質感減量の可能性が熱心に探索されています。
絵筆は質感描写に向いていないはずですが、絵画の写実主義は堅固です。
両者の動向は逆説的で、何が起きているのかわかりません。

⑨ 画像加工
「写真」という字は、真実を写すと書きます。
事実をありのまま記録する性質は、写真が持つ価値のひとつでしょう。
ただし、画像がデータ化した現代、加工が容易なのはご存じの通りです。
アート系の写真において、どこまで加工を許容するか、
あるいは、どのように心象に寄せていくかは、人によって異なります。


∫5 内部照会

アート視点をもって、他者と写真関係の交流をすると、
評価の多寡や、価値観の衝突で、動揺することがあるかもしれません。

美術学校の卒業生なら明答するはずです。
基礎課程を終えた、その先は、もう本意の世界なのだと。

アートは内発起点、かつ、内部照会の世界です。


創作活動は、その人に内部照会の姿勢を促します。

内発との一体化が解けるまでは、駆り立てられているとわからないまま、
駆り立てられます。
もがく、荒れる。路上にひっくり返ってばたばたする。
その荒れが「この感覚・欲求は内発だ」という気づきをもって一段落する。

内発が内発の位置に収まれば、耳を傾けるも、世話を焼くも、自由です。

何歳になっても、内発との一体化が解ける精神的成長はあります。
それは、美感を内発と認識するだけに留まらない。

僕に言わせれば、作品より、
その人が精神的に成長を遂げたことのほうが、よほど美しいです。


おわりに
人は、自分が疲れていると認識できないことがあります。
心身の疲労が度を越すと、本当に、本当に、死んでしまうんですよ。
美感もよいですが、苦痛感、疲労感の照会も忘れないように。
過労で命を落とせば、創作も鑑賞もできなくなります。
ご自愛ください。



写真解説

① 対応する音のない色
 音楽を聴いて他の感覚が励起される現象は「共感覚」と呼ばれています。
 色感が有名ですが、実際の反応はもっといろいろあるようです。
 ECMは冷感多めで、ビブラフォンや風鈴に冷感を感じるのと似ています。
 周波数の異なる音に、位置の高低の感覚が出る人は多いようです。
 耳は音感と平衡感覚で兼用なので、配線が短絡しやすいかもしれません。
 励起する色相に偏りがあるようで、僕の脳では出ない色もあります。


② チェロとフルート

 フルートを吹くとき、通奏音が欲しくなることがあります。
 ここにチェロの音があったらいいのになあ。


③ 雨を奏でるホール
 雨が降ると、手元から遠方まで、空間が存在していたことに気づきます。
 音もまた、遠近をもって響き、空間に奥行きがあることを示します。
 雨天にしか開演しない音楽ホールで、雨音に耳を傾けます。


④ 大事にしている楽器

 僕に才ありと見込んだ教師が、クラリネットを貸与してくれました。
 しかし、ただ音を出せるだけで、旋律を維持する力はありませんでした。
 預かっていた1年間は大切に扱い、期間終了とともにお返ししました。
 小学生の僕には吹けずじまいでしたが、木管の音色は大好きです。
 ECMレーベルに、Jan Garbarekという木管の名手がいます。
 代表作は「In praise of dreams」です。


⑤ 赤の肖像
 かわいく写る花が多い中、貴族然として肖像風になる花があります。
 その花の個性を捉えるには、一輪一輪に向きあう必要があります。
 その花らしく、撮ってあげたい。
 ジャンルが離れていますが、人物写真も同じかもなあと想像しています。


⑥ 祝福

 君が本意に生きられることを願う。君の本意に幸あれ。


⑦ 春を温める

 春が慌ただしくなる少し前に、lag phaseに似た時間があります。
 このときの春はまだ、温めなくてはならないほど小さいです。 


⑧ Home
 自宅の採光です。

 ガンが判明し、研究所を退職し、手術を待っているあいだ、
 僕がやったことはふたつあります。
 ひとつは遺言書の作成。もうひとつは物品の処分です。
 楽器はドラムとバイオリンを売り、フルートとキーボードを残しました。
 ほぼ何もなくなった部屋に天命が残ります。
 

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