社会の洗礼
新年度が始まってもうすぐ3週間。
例年なら新社会人は今月中に社会の洗礼と言うか、学生の頃との違いを実感してるはずだけど、今年はこの状態。
人によっては社会人になった実感がないかもしれない。
20歳の時、バイト先の工場の社員さんに事務所に書類を持ってってと頼まれた。
そこの事務所は役職者以外、女性のみで皆、キレイな人ばかり。
キレイなお姉さんに話しかける勇気がなく年配のパートさんに書類を渡すと、
「あら、ユリアンさん。男の人なのにキレイな手をしてるのね」
と言われたので、お礼を言うと、
「仕事してない証拠ねぇ」
と言われ、お姉さま方に笑われた。
工場に戻り、渡した報告とパートさんに言われたことを社員さんに話すと、
「言われたかー。まぁ、それも社会の洗礼よ。社会に出たら、そんなの挨拶程度にしか感じないくらいキツイこと言われることあるから」
落ち込んだ訳じゃなく、不意打ちで言われたので驚いただけだったけど、社員さんは「気にすんな」と笑いながら言ってくれた。
確かに社会人になってみて、パートさんの言葉とは比べようもないことを上司やお客さんに散々言われた。
社会に出る前に先行して経験出来たのは良いことだったかもしれない。
その日のお昼休み、食堂で事務のお姉さんたちに「さっき大変だったね」と声を掛けられ、手を出してと言われたので出すと手を握られ、手の平、甲と見られて、
「ホントだ。きれーい」
お姉さま方一人一人に手を握られながら見られ、それまで接点が無かったお姉さま方と仲良くなるきっかけになった。
社会の洗礼は厳しく心折られそうになる時もある。
でも、それがきっかけで美味しい思いをすることもある。
“ 若いうちの苦労は買ってでもしろ ”
昔からある言葉で使い古された言葉。
でも、使い古されているということは一定の効果はあるという証明でもあるはず。
そう思えば、社会の洗礼と思える経験も無駄にはならないはず。
僕のこの経験は社会の洗礼と言うほど大げさなことではないけど。