考えの違い
昨日、一昨日とバイト先で知り合った南米出身の日系人の友達の話を書いた。
その中の1人にアルゼンチンの日系三世?の友達とよく遊んでいた。
両親とも日系人だったので見た目は変わらないし日本語も流暢だったけど、考え方は少し違っていた。
そいつの家で遊んだ時、テレビにアルゼンチンの首都ブエノスアイレスが映ると、
「あ!あそこの店!あそこの店を過ぎて左に曲がるとおばさんの家なんだ。おばさん元気かな。アルゼンチン帰りたいなぁ」
友達はテレビに映るアルゼンチンの風景に郷愁を感じていたが、僕の目に映ったのは店の前でデモ隊が機動隊に火炎瓶を投げる姿と、それに放水で応酬する機動隊。その周りで燃える何台もの車。
友達が触れた店は窓ガラスが全部割れていて略奪を受けた状態。
懐かしむより、おばさんの心配が先だろうと着眼点の違いを感じた。
そいつはアルゼンチンに帰った後もちょくちょく連絡をくれた。
近況報告の中でタクシー強盗にあったと言われた。
今さっき、あったばかりだと。
タクシーが強盗に襲われたのかと思ったら犯人はタクシーの運転手。
道が違うと思ったら、
「金目の物を置いて降りろ」
と言われたと。
怪我は無いか訊ねると、
「大丈夫。携帯と財布の金と腕時計取られただけ」
“ だけ? ”
十分すぎるじゃんと思ったけど、殺されなかったからOKだと。
家に着いたし、お前に話そうと思って電話したと。
許容範囲が違いすぎる。
警察に通報したか訊くと、
「ん~、あのタクシー本物か分からないし」
警察も捜査するか分からない。また買えるものだから警察には通報しないと。
マジかと思ったけど、ブラジル人の友達も、
「警察がどうにかすると思うのはお前が日本人だから。こっちの警察はギャングと繋がってるかもしれないし、繋がってなくてもギャングの力が強くて警察は頼りない」
「あと、制服着てるからって、本物とは限らないし」
この発言にブラジル、アルゼンチン、パラグアイの友達皆がうなずいて“ 南米あるある ”みたいな反応だった。
南米に行ったことがある人は「そんなことない」という人もいるかもしれないけど、実際に言われたことなので。
「お前もいつかアルゼンチン来いよ。良いとこだから」
今、強盗にあったヤツが言うことじゃない。
誘うタイミングを間違えすぎてる。
考えの違いと言うか、肝っ玉の据わり方の違いと言うべきだろうか。
でも、その考えの違い、肝っ玉の据わり方の違いが彼らの魅力でもあるんだけど。