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もしあなたの親友が亡くなってしまったとしたら・・・

★親友が生きた証を、あなたが証明していってください★

1、この記事を書こうとした理由


最近、僕の結婚式のビデオを奥さんと見ていました。
その中で、僕が親友について泣きながらスピーチしている部分があって、恥ずかしい気持ちになりました。

自分が泣いているのを映像で見るってのは、こんなに恥ずかしいとは(笑)
スピーチしているときは感極まって泣いてしまいましたが、今考えると、それだけ親友が僕の中で大きな存在だったんだなということを感じました。

今回この記事を書こうとした理由は、「残された僕たちがすべきことがあるのではないか」と思ったからです。
絆で結ばれた関係だからこそ、何か出来ることがある。

この何年かで僕が考えたことをここに記します。
もしあなたが親友を亡くしたとしたら、ぜひとも読んでほしいです。

目次の最後に、親友の分生きているあなたにお願いしたいことを書きましたので、ぜひとも最後までご覧ください。

2、親友との出会いとこれまで


親友とは、中学のときに一緒の学校になりました。
僕は中学受験をしたので、地元の公立中学ではなく、家からちょっと離れた私立の中高一貫の学校に入学しました。

でも親友との出会いは実は中学のときではなく、小学生のときに通っていた中学受験の塾でした。
確か算数のクラスが一緒だったので、親友の顔は知っていました。

しかし、この時は友人ですらなく、単純に塾に来ている人のうちの一人という認識しかありませんでした。
僕はそれなりに勉強が出来ていたので(マジでそうなんですよ)、本当はもっと上のレベルの別の学校に行くつもりだったのですが、落ちてしまったので、滑り止めの学校に通うことになりました。

入学式で、「どこかで見たことあるやつだな」と思って声をかけたのが初対面でしたかね。
まさかここから、お互いに地獄を味わうことになるとは・・・。

地獄の6年間を乗り切れたのは、間違いなく親友がいたから。
とは言え、中学一年生のときは、お互い比較的平和だったかなと思います。

親友とはちょこちょこ遊んでいたかなと思います。
僕らはパソコン部に入部したので、部活が一緒だったことから、一緒にいる機会が多くなったかなと。

同じ部活に入っていましたが、まだ出会って間もないことから、親友という関係ではなく、数多くいる中の友人でした。

正直、そこまで仲良くなかったような気がします。
なので、中学一年生のときは特にこれといった思い出がありません。

そして、中学二年生からお互い地獄が始まりました。
以前の記事にも書いた通り、僕は入ったいた部活に所属していたお山の大将が、学年のスクールカーストの上にいた問題児だったので、今でも夢に出てくるくらい、辛い辛い学校生活を送ることになりました。

よろしければ、こちらの記事もご覧ください。

親友もクラスの人間関係に悩んでいたようです。
モノを取られたり、お金を取られたり、イジりのレベルではないことをされていたり・・・。

僕も辛いし、親友も辛い。
そんな心に余裕がなかったからこそ、お互い「自分だけが辛いんだ」、「お前の方がマシだろう」ということで、ぶつかっていた気がします。
だから、中二は仲良くないよりも、仲悪かったくらいだった気がします。

誰にも助けてもらえなかったのもあってね。よく生きていられたよなぁ。
ということで中学二年生は、僕も親友も生きた心地がしませんでした。

中学三年生になると、部活が楽しくなり、部活の先輩たちといろいろ楽しんでいました。

このときから部活の部長が代わり、雰囲気が変わり、チームとして部活が一体化していました。
なので、クラスよりも部活を優先していた気がします。

例えば、文化祭はクラスの方に全く協力せず、部活の方に出まくったり、学校を休んでも部活には参加したり・・・。
それくらい楽しかったです。

親友も、この頃から部活が楽しくなったと言っていましたね。
本当に、部活がなければ学校に行かなかったんじゃないかな?くらいでした。

親友とは相変わらず部員の一員として接していましたが、
このころから親友は中学生が話す内容とは思えないような、そういった話をしていました。

当時から親友は読書が趣味で、たくさんの本を読んでいました。
そのせいか、いろいろ話していました。

例えば・・・
・信号は交通の安全が目的であるはずなのに、青信号になるまで待つことが目的となってしまっているから矛盾しているのではないか
・人間は生まれた瞬間、死に向かって行っている。生まれた瞬間、生から死へと歩き出す。

など、哲学的なことを言っていたことから、15歳の僕は訳がわからず、理解することが出来ませんでした。

なので、この時期は親友と少し距離があったと思います。
だって、難しい内容じゃないですか?

今考えれば、こういう思考力は大事なのですが、15歳の僕にはとうてい理解することが出来なかった内容なので、親友はすごく大人びていたのだと思います。頭がいいという言い方も出来そうですね。

そんな彼と一番仲良くなれたきっかけは高2のときです。
高1のときの記憶がほとんどないので、割愛しますね。

高2になった僕は部活の部長になりました。
ですが、今まで何かを率いてきた経験がなかったため、部員たちの統率がとれず、なかなかうまくいきませんでした。

親友からも苦言を呈され、全く何もうまくいきませんでしたね。
ただ、親友からの苦言は単なる苦言ではなく、今考えれば僕のことを思って言ってくれていることだったと思います。

でも僕は文句を言われているだけだと受け取り、聞く耳を持てませんでした。

ですが、文化祭を通して親友がいかに部活を考えているのかということがわかりました。

本当に部活が崩壊しかけている中、親友と2人きりで話し、お互いの本音をぶつけました。

そこで、親友の考えていること、やりたいと思っていることがようやくわかりました。

そして、そのいずれにも、僕と一緒に成し遂げたいという隠れた思いがあることも分かりました。
お互いのありのままの思い、気持ちをぶつけて、そこから彼との特別なキズナに気づくことが出来ました。

そこから、お互いに尊敬の念を抱き、たくさんいろいろな話をするようになりました。

・人としてどうあるべきか
・たくさんの人から愛されるためにどうすればいいのか・・・
・人から嫌われないようにするにはどうすればいいのか
・どう生きていくべきか

とても高2の学生が話すような内容ではありませんね。
そんな哲学的な話をずっとしていました。

高3になると中1以来ですが、クラスが一緒になり、ずっと一緒にいましたね。
受験もあったため、一緒に勉強したり、情報交換もしていました。

とは言え、学校でひどい扱いを受けていたのは変わらなかったため、お互い休みがちになりながら、なんとか頑張っていました。

今考えると、もっと休んでもよかったな・・・
そんなきつい中お互い頑張っていました。

そして、親友はAO受験で大学に合格し、僕は一般受験で大学に合格することが出来ました。

残りの期間は学校に行かずに済んだので、それなりに穏やかな日々を過ごしていましたね。

卒業式の前日に、親友と大雨の中、海に向かって叫んだのはいい思い出です(笑)
卒業式では、僕の中ではやり切った感があったのを覚えています。

だって6年も耐えたんですから!
素晴らしい。

一方、親友は不安を感じていたらしいです。
環境が変わることを恐れていたと、何年後かに聞きました。

この環境が変わったことが、親友によくない影響を与えてしまったのか・・・。
何とか出来たのではないか、今でもそう考えます。

3、大学時代から少しずつ変わり始めた人生

大学に入ると、僕はたくさん友達が出来たため、親友と会う機会が少なくなりました。

仲のいい友人とカラオケに行ったり、遊びに行ったり、高校時代では考えられないくらい、楽しい日々を過ごしていました。

一方、親友は中学高校時代の傷が癒えず、友達作りに苦労していました。
会うたびに、
「友達ってどう作るんだっけ?」
「人に興味持てないんだけど、どうやって興味を持つの?」

こんなことを毎回言っていました。
そんなに考えることじゃないのになぁと思っていましたが、親友にとっては辛かったんだと思います。

正直、僕は大学の方が楽しかったため、親友とは高校ほど会わなくなってしまいました。
時々ラインをして、時々飯に行ってカラオケに行くくらいです。

僕は本当にこの大学時代は平和だったため、特に4年間なにもなかったかな。

そして僕は無事に就職をして社会人の仲間入りをしましたが、親友は就職活動をしていませんでした。
いや、出来なかったというべきでしょうか。

それでお互いスケジュールが合わなくなったこともあり、あまり会わなくなってしまいましたが、ラインは変わらず続けていました。

僕は仕事がうまくいかず、親友も心休まらない日々が続き、お互い励ましあっていたのを覚えています。

それから2年くらいしたときに、僕は専門学校に通い、メンタルカウンセリングの勉強を始めました。

カウンセラーの勉強がしたいという思いで始めたのもありますが、
親友の心を少しでも癒せないかという思いもありました。

専門学校で習ったことを親友に教えたり、近況報告をたまに電話したりしていました。
そんな中、親友が精神病棟で入院するということを聞かされました。

もちろんお見舞いには行けないので、ラインしながら様子は聞いていましたが、入院することになるとは・・・。

電話で余計なことをしゃべってしまったのではないか・・・
そんな自責の念を抱いていました。

退院後に親友とご飯を食べに行って、入院中の面白い話を聞いたりしたので、あながち悪いことでもなかったのかなと思っていました。

入院中に心が回復したのもあり、これからバイト始める!頑張る!ということで張り切っていました。

僕としても、ようやく社会人として第一歩を踏み出せるのだな!とうれしく思っていました。

一方で、いきなりコンビニでバイトすると言ったもんですから、大丈夫かな?と心配していました。

この嫌な予感があたり、親友は2日で挫折してしまいました。
そりゃコンビニキツイって。

そこからしばらく連絡が取れなくなりました。
大丈夫かな?と思っていましたが、そりゃ心を回復させる時間が必要だなと思い、しばらく連絡していませんでした。

日が経つと連絡をしてくれましたが、長くは続かず、僕は僕のことでいっぱいいっぱいになっていました。


4、親友の死

それから1ヶ月だったかな…もう少し経ったころだったかもしれません。
今でも忘れられません。
仕事中に親友のお母さんから僕の携帯にがかかってきました。

普段お母さんから電話があることなんかないので、なんか嫌な予感がしていました。
仕事部屋を出て、電話を取ると、お母さんの暗い声。

「彼が亡くなりました」


よくドラマで見るような、この声を聞いて泣きだすということはありませんでしたが、いったい何を言っているんだ?という感じでした。

今まで味わったことのない、変な気持ちでした。
もちろんその後は仕事が手につかず、ただ時間が過ぎていきました。

帰り道、お通夜に必要なものを聞くために、自分の母に電話をして親友の話をしました。

すると、母が電話越しで泣いていました。
それで、あぁ、親友は本当に亡くなったんだと改めて感じました。

帰り道ではありましたが、涙が溢れました。
そっか、親友は死んだんだ。

いや、明日には会えるのではないか、
ラインがこのあと来て、ドッキリでした(笑)なんてなるんだろうな。

本気でそう思っていました。
なので、こんな状況にも関わらず、半信半疑だったんですね。

それだけ受け入れ難い、いや、受け入れられないことでした。
それから2日後とかだったかな?お通夜に行くことになりました。

お通夜に行くと、高校時代に親友と面識のあった同級生たちが僕を含めて10人くらいいました。
何人かは泣いていて、何人かはなんてことない顔をしていました。

なんて事ない顔している奴らはなんで来たんだ?と思っていましたが、高校の時からそういう奴らだったので、冷静に考えると不思議なことではないと思いますね。

その後受付を済ませて、親友のお母さんにご挨拶をしました。
僕はお母さんと面識があったことから、お母さんの顔を見て号泣してしまいました。

お母さんが一番辛いんだろうなという気持ちと、なんとも言えない感情が出てきて、涙を堪えることが出来ませんでした。

そのあとお母さんから、「彼の顔を見てあげてください」と言われ、棺に入った彼の顔を見ました。

彼の顔を見ていると、亡くなったことが現実として襲い掛かってきました。
本当に亡くなってしまったのだと・・・

この先、僕に何かあったときに、誰に相談すればいいんだ?
誰と一緒にモスバーガー行けばいいんだ?
カラオケの新曲聞いてくれる人いないぞ?

親友は高校時代、「自分が死んでも誰も悲しまないよ」と言っていましたが、僕は本当に悲しかったですね。
そんなふざけたこと言うな!と当時の親友に言いたいです。

それから1ヶ月後くらいだったでしょうか。
親友の家に友人と行き、仏壇に手を合わせつつ、高校の時の思い出話をお父さんとお母さんに話しました。

以前書いた記事に、僕は中学、高校時代非常に苦しい思いをしたと書きましたが、友人と親友のご両親と思い出話をしていると、本当にあのとき辛かったのかな?と思えるほど、親友との思い出は素晴らしいものなんだと思いました。

それだけ、彼と過ごした時間は楽しかったんですよ。
趣味も何も合わないのに、話すだけで楽しかったんです。

そういった仲間が辛い辛い時期にいてくれたんだなってことを、思い出話をしながら認識することが出来ました。

親友の自宅を出たした後、友人と居酒屋に行き、あのときはこうだったよねと話しながら、改めて自分が大人になったということ、一方で自分がまだ大人になっていないところもあるんだなと感じました。それがいいのかもしれないけど。

本来ならこの飲み会に親友がいるのに・・・とビールがひどく苦く感じましたね。

これが6年くらい前だった思います。

それから僕は毎年親友の家に行き、仏壇に手を合わせて、当時の思い出や今の僕の状況をお父さんとお母さんに話すということをしています。

行くたびに、また親友と会える時が来るのではないか・・・。
そう思い続けています。


5、親友の死から思ったこと


その一方で、思っていることが、あのときお通夜に一緒にいた同級生たちはあれから姿を見せません。
毎年仏壇に手を会わせているのは僕だけみたいです。

あんなに悲しんでいたのに、通夜に行って終わり?
どういうつもりだ?

と思っていましたが、そんなものかもしれません。

人間は二度死ぬと言います。
1度目は肉体的な死を迎えたとき
2度目は人々に忘れられたとき

親友は肉体的には亡くなったかもしれませんが、僕がいる限りは2度目の死を迎えることはありません。
しかし、ほかの同級生は、仏壇に手を合わせようともしないため、親友のことを忘れているのかもしれませんね。

だからこそ、僕は親友のことを伝え続けようと思っています。
あのとき、
「親友こういうことしてたんだよ」
「親友みたいな人がいてさ」

こういうことを話すことで、親友がこの世にいたという、存在の証明をすることが出来ます。
現に、最初言ったように、僕は結婚式の最後のスピーチで親友の話をしました。

これが僕の出来ることだと思っています。

親友のことを話す事で、親友がこの世にいたことを証明することが出来る。

親友のことを話す事で、誰かが親友のことを思い出してくれる。

誰かの中に親友の記憶があるうちは、親友はまだこの世にい続けることができる。

僕が生きている間は、親友のことを話す。
これが僕が親友に対して出来る唯一のことだと思います。

6、親友を亡くしたあなたにお願いしたいこと

だからもし、あなたの親友が亡くなってしまったときは、ぜひあなたが親友の生きた証を証明し続けてください。

あなたがあなたの親友のことを話し続けることで、親友はこの世に存在し続けます。

だから、あなたは親友の分生きてください。
親友もそれを望んでいることでしょう。

これが僕のみなさんにお話出来ることです。
いろいろ思うことがあるかもしれませんが、心底僕が思っていることです。

もし少しでも心に響いたのであれば幸いです。

大学受験メンタルアドバイザー わっち

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