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砂漠の日々を編む
昨年、私は砂漠への望郷に耐えられずサハラへ戻った。ヨルダンのワディラムでのラクダの旅から18年、そして驚くべきことに、ラクダでのサハラ横断の旅からは実に40年の月日が過ぎていた。時の流れは砂のように容赦なく過ぎ去っていた。砂漠の風に吹かれていた若者は、気がつけば64歳になっていた。
昨年の旅は、まるで古いアルバムをめくるように、私の青春の1ページ1ページを振り返るものだった。夜ごと、私の意識は深い井戸を覗き込むように、遠い過去へと沈潜していった。若かった日々の情熱、不安、そして希望が、星明かりの下でまざまざと蘇ってきた。忘れられない風景が、忘れられない思い出が、また新しい記憶として刻まれていった。
しかし、タッシリ・ナジェールでのラクダの旅は整いすぎていた。
風景は美しかったが、かつて私が経験した、早朝にラクダを探し回ることも、 餌場を気にしながら進路を決めることも、 砂丘の景色や音を読んで道を見定めることも、 灼熱の中を一日中歩き続けることも、もはやそこにはなかった。
代わりに1日僅か5時間の移動と、新鮮な野菜が積まれ、ガスコンロで調理された「観光客のためのサハラ料理」が毎日供された。
サハラの日々は、トゥアレグの人々にとって冒険譚ではない。それは彼らの日常であり、生きるための舞台だ。その真実に、今年は少しでも近づきたいと思った。
そこで今年は、遊牧民のテントに1週間身を寄せることにした。
そこには有名な壁画も、絵になる砂丘も、潤いのオアシスもない。ただ、人と家畜が命をつないでいく、素のままの時間と空間だけがあった。しかしそこに、私は本当の贅沢を見出した。
そこに住む人々と同じものを口にして時間を過ごした。搾りたてのミルクの豊かな味わい。午後の静寂の中での心地よい午睡。そして何より、ゆっくりと淹れられるお茶を囲んでの時間を忘れた語らい。
電気も、水道も、インターネットもない。だがそのシンプルな暮らしの中で私は深い充足感に包まれていた。それは生きるということの本質に触れるような、静かな幸せだった。
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