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自律神経とのたたかい(後編)


文と写真/皐月


当然だが漢方治療生活が始まっても症状はすぐには良くならなかった。

少なくとも2〜3週間単位で通院して、処方が合っているかどうかを見極めていく。
合わなかったり、逆に症状に改善が見られたりすると、次はこれ、今度はこっちはどうだろう、とこちらの状態を見ながら先生は次々と薬を変えていった。

先生のところでは、感情面を含めてあらゆる身体の状態を吐露することができた。
例えば「心配事が多い」などの単なる気持ちの問題であっても、東洋医学では身体の状態の一つとして診るらしい。しかも先生は、(普段お年寄りの患者が多い病院だったからか)嫌な顔せず時間をかけてそれを聞いて、レスポンスしてくる。
耐久戦だったけど、先生に会うのはどこか心の拠り所になっていた。

有給は盛大に使いつつ仕事は続けていた。
何となく休職期間ができるのは嫌だった、まあ今考えれば休んでも良かったかもしれないけど。
幸いコロナ禍の初期からピーク時であったため、仕事の場であっても人に会う機会が特段に減り、そうでない時と比べて体調不良は幾らかしのぎやすい状況にあった。
ロボット掃除機やら食洗機やらもあったので、家事は最低限。
昼はなるべく日光にあたり、15分でも、散歩だけでもいいから体を動かし、
消化に優しいおかゆや雑炊をちょっとずつ食べ、
夜はいい匂いを嗅ぎ、好きなことを考える。

もう忘れかけてるけど、当時は身体のしんどさを紛らわすように
すっかり体調が良くなった未来のことをずっと考えていた。
体調には波があり、やっとやっと、もうこれで良くなるのかな、と思っては悪化して裏切られるの繰り返し。
底のないプールを泳いでいるようだった。

春先に漢方を初めて、僅かだが改善の兆しが見えた夏頃。
この機を逃したくない一心で転職をした。自分でも思うが私は追い詰められた時に強い。普段は小心者だし鋼の意志も持っていないのだけど。
実際に新しいところで働き始めたのが次の春からで、そのための引っ越しをする直前までおじいちゃん先生の元に通った。
私が引っ越しする旨を伝えると、とっておきの紹介先を書いたメモを渡してくれた。
嬉しかった。

職場が変わると症状は格段に改善した。
それはもう漢方のスピードとは比にならないくらい(笑)
やっぱりストレス。恐るべし。

でも転職活動ができたのは、お世辞でもなんでもなく、あの漢方内科にお世話になったから。
おじいちゃん先生はただ仕事をしただけに過ぎないだろうけど、私は心から感謝しているし、漢方のことをもっと知りたい、生活に取り入れたいと思うようになった。
そしてそして。
病気はしんどすぎたし、今も若干症状がぶり返すこともあるので漢方は続けているけど、
何となく色々と憑き物が落ちたような心地もある。
体調を優先する必要に迫られてと言う形ではあるが、本当の意味で無駄なものを削ぎ落とす生活にシフトしたこと。
自分の心の保ち方、力の抜き方がわかったこと。
失うものばかりではなかったかもしれないなと、ふつうの生活ができるようになって思う。


今、病院は移転して新しく、かっこよくなっており、おじいちゃん先生もそこに移っているらしい。
紹介状をもらったとき、本当はこちらでずっと診てもらいたかったんです。
治ったら、ご挨拶にまたきてもいいですか?と聞いた。
もちろんですよ、新しくなった病院で待ってます、と
すっかり顔見知りになった医療事務のお兄さんも言ってくれた。
そろそろ元気な顔を見せに、行かないとなあ。




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