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天牛名義考「名義史放浪編(なまえのれきしほうろうへん)」

清の康熙帝の命で編纂された『欽定古今図書集成』(1728刊)。 その「天牛部彙考」所収の中国の古典籍『爾雅』(じが),『酉陽雑俎』(ゆうようざっそ),『本草綱目』(ほんぞうこうもく)にカミキリムシと思しき蟲の記載があることがわかりました( <A-3> 参照)。

紀元前に成った字書『爾雅』は「蠰」と, その類語として「齧桑」(桑かじり)を挙げています。『爾雅』ののちの辞書『玉篇』も同様です。
辞書『和名抄』を編纂した源順は, 出典を『玉篇』とした上で,「蠰」をカミキリムシに比定しました。 しかし, 「齧桑」については黙殺しています。 また, かれは『和名抄』で「天牛」について全く触れていません。

ちなみに『爾雅』にも『玉篇』にも「天牛」はありません。
いっぽう, 『爾雅』に「註」を加えた郭璞(かくはく 276-324)は,  "蠰, 齧桑" を「天牛」に似ると書いています。 しかも, 「天牛」が何かについてかれは触れていません。

疑問はいろいろあります。 が, 本稿以降しばらくは, 中国古典籍における「天牛」の正体を探ることにします。
「天牛部彙考」所収の古典籍で残された『酉陽雑俎』,『本草綱目』を見れば何かわかるのでしょうか。


<A-4> 新たな疑問:天牛とは何か?

1. 「天牛蟲」@『酉陽雑俎』

『酉陽雑俎』は唐代の人, 段成式の随筆である.860年頃に成ったという.
成式は博覧強記の文人で, いわゆる博物学者だったらしい.  異事奇談(今で言う都市伝説など)にまで言及しているというから, 関心が広いユニークな人物だったのだ.
その『酉陽雑俎』に「天牛蟲」なる文章がある(なお, 書き下し文を付す) *1.

 天牛蟲黑甲蟲也 長安夏中此蟲或出於籬壁間必雨 成式七度驗之皆應.

 天牛蟲, 黑き甲蟲也. 長安では夏中に此の蟲, 或いは籬壁の間に出でて必ず雨ふる. 成式(=著者自身の名), 七度之を驗ずるに皆應ず(確かめたところ, みな当たっていた=そのとおりだった).

天牛蟲の出現と降雨の不思議な関わりを説いてまさに異事奇談だ.しかも,黒い甲虫としている以外, 触角その他, 蟲の特徴に関する言及がない.
『爾雅』の "蠰, 齧桑" にも触れていないので, それらと天牛蟲との関係も不明. 時々垣根(籬壁)に出るらしいが, 天牛の正体は依然, 霧の中である.

2.『本草綱目』の「天牛」

李時珍(1518-1593)は, 明の本草学者. 膨大な文献の示すところに自身の知見を加え, 二十数年をかけて医薬書『本草網目』(全五十二巻)を編集した.刊行はかれの死後という.

「本草」だから内容は薬草のみと思いきや, さにあらず. 医薬材料として昆虫は重要らしく,「蟲部」にも紙数が割かれている. 目指す「天牛」は同書巻之四十一(蟲之三)にある.

記載内容は「釋名」(正名, 別名, 由来を記す), 「集解」(産地, 採取時期, 形状を記す), 「気味」(医薬品としての特性などを記す),「発明」(不明点への独自の解釈)などの趣旨別に整理されている. ただし, 「気味」以降はほぼ医薬的見地の記述だから立ち入らず, 「釋名」と「集解」に限って読もう. 

『本草綱目』第四十一巻 蟲部 蟲之三 天牛(部分)
わが国における翻刻本. 校訂者・出版者・出版年不明.
早稲田大学中央図書館蔵

まずは「釋名」. 一行目が天牛とその別名, 下の行が李時珍による解説である(なお, 書き下し文を付す)*2.

天牛 一名天水牛 ー名八角兒 一角者名獨角仙
李時珍曰 此蟲有黑角如八字 似水牛角故名 亦有一角者

天牛, 一名(=別名)天水牛, 一名 八角兒. 一角のものは獨角仙と名づく. 
李時珍(=著者自身)曰く, 此の蟲, 八の字の如き黑き角を有す. 水牛の角に似る故に名づく. また, 一角の者有り*3. 

さて, 面白いことになってきたぞ. 「天牛」は, さらに天水牛とも八角兒とも呼ばれるというのだ. 李時珍によれば, 八の字のような(八の字型に開いたという意味か)黒い触角を有して, その様子が水牛の角に似ていることから, この蟲は「天牛」もしくは天水牛と呼ばれる. 
"天" は, 飛翔する習性に因むか? ここには李時珍の言明はないが, 天の水牛つまり天水牛で, それが「天牛」に短縮されていったかと思われる. 
また, 八角兒(八の字の触角をもつちびすけ)とはなんとも可愛らしい別名だ. これもまた, この蟲の触角の開き具合に由来するようだ. 

ともかく李時珍は『本草網目』「釋名」で「天牛」の名の由来を明記した. 特に, (虫の)触角と(水牛の)角の類比で, 双方長いだけでなく, 八の字状に開いているという特徴が眼目なのだ. 
ここから, どうやら「天牛」はカミキリムシらしいことが見えてきた. 

3."蠰, 齧桑" と「天牛」は同一か

しかしながら, 「釋名」ではまだ "蠰, 齧桑"と「天牛」の関係が決着しない. 郭璞(276-324)が『爾雅』の ”蠰, (別名)齧桑” を「似天牛長角」と注記した問題はいったいどうなるのであろうか. 果たして, 李時珍先生は「集解」でどう決着させるおつもりだろうか. 

(つづきは <A-5> 李時珍の叡智 天牛編 の前編にて. なお, 次回投稿は「種名考察編」に戻り, <B-4> アカアシオオアオカミキリ の予定です )


*1
書き下しにあたり, 早稲田大学図書館所蔵本(毛晉訂, 服部南郭文庫旧蔵 オンラインデジタルデータ)の訓読文を参考にした.

*2
書き下しにあたり, 早稲田大学図書館所蔵本(雲英末雄旧蔵 オンラインデジタルデータ)の訓読文(=挿図)を参考にした.

*3
ちなみに, 一角者=獨角仙(触角が一本?角が一本?)は, こんにちでいうカブトムシらしいのだが, ここでは置くとしよう.

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