4.昭和20年8月10日 絶えず飛び回るソ軍機
日の出山陣地到着(『追憶』第1巻・前半 1-31 に記載)
未だ夜の明け切らぬ間に、曲りに曲った山坂道をあえぎあえぎ登り、陣地に到着した。
到着すると直ちに大隊毎に位置がきまり、1個分隊で1個のトーチカがあてがわれた。トーチカが、各分隊員の、住居兼、銃座でもあった。
日の出山には「りす」が群れているような、大きな木もあった。
しかしそこは概して、人の身長より低い松の木が多く、鉄条網(有刺鉄線のこと)は延々と続き、トーチカは至る所に点在しており、相当堅固に構築された陣地のようだった。
古兵から「興安こうろぎ」とかいう名の、内地の「芋虫」の3倍もあるような虫(茶褐色の大蛹)や、羽の小さい、黒茶色の「こうろぎ」などを見せてもらった。
8月12日の夜、ここの陣地を後にするまでは、別にこれということはしなかった。ただ、毎日、夜があけると、日が暮れるまで、絶えず頭上を飛び回っているソ軍機が目ざわりだった。
たまり水で米をといだりして、林の中に入り、そこで炊煙を上げたりしたら、必ず急降下して銃撃を浴びせられていた。
最初は、枯木ばかりを集めて飯盒炊さんをしていた。炊事することは、命がけの仕事のように思っていたが、2回、3回と繰り返し撃たれるうちに、撃たれたら、気持ちは悪いにしても、銃撃は案外命中しないもののように決めてかかり、林の中では、いくら銃撃されてもじっとしていて、飯盒の場所から逃げたりはしなくなった。
だが、荒木、国澤さんとかいうロートル兵と炊さんに行き、ソ軍機に木の葉すれすれまで食い下がられ、銃撃で、飯盒を引っくり返された時には、火を消して、爆音がしなくなるまで誰も立てなかったことがある。
日の出山の守備は、107師団、師団長 阿部 幸次郎中将の旗下、20001部隊が主力で、(部隊長 米本大佐)20001部隊は、第1より第3大隊まであった。(177連隊)
私の配属になったのは第3大隊で、直江中尉の9中隊、藤川中尉の10中隊、渡邊中尉の11中隊で編制されていた。
ーーー上記の師団、連隊等は満洲で戦時編制
夕方、暗くなりかけた頃、林の中で軍犬を訓練する声が耳にこだましたり、五叉溝方面が空襲され、その激しい爆撃の際の猛煙や、炎上する火柱などを望見したりしたこともある。
又、ソ軍機はよく宣伝ビラを落していった。それには、「東北健児に告ぐ」という見出しから始まっていたために、「満人のスパイ活動には注意せよ。」と伝令が回ったこともあった。
それにしても、ここでは、嫌になる程、ソ軍の戦闘機からの銃撃を体験させられ、夜がくると、ほっとしたような気がしていた。