満州の動植物のことなど
*キャプション
ふるさとの
うめとまよいし
あんずの木
のど?き(春?都?)よ
南描が丘
広大な大陸、満州の春は遅い。5月でもまだあちこちに紅梅が見られた。
日本のような梅干しよりも杏の漬物がよく食膳にでていたような記憶がある。
二度と再び自由に訪れることのない大陸だったのに、と、今になって多々悔まれてならないことがある。もし、その頃、といってもどうなるものでもないが、地質学・動植物などの関心なり知識、民族とか人種などについてもほんのわずかな知識の一つでもあったら、もっと見る眼、読みとる構え、感じ方等、それぞれ違っていたろうにと思っている。
五族というから五つしか民族はないのかと思ったら、中国大陸には、何十という小数民族が同居し、それぞれの生活と文化を伝承し、又は、互いに他民族と融合し調和のとれた社会を作っているとのこと、これだけの予備知識だけあっても中国語(学校で習ったのは北京官話という一種の中国における共通語)を使用する時、この人には通じてないようだが故郷はどこかな、とこちらには一考するゆとりもある。蒙古民族には中国語が全く通じなかったが、いっさい通じなくても何ら支障なく生活ができるととろに底知れぬ大陸の豊かな抱擁力を感ずる。(師大にいた蒙古民族は中国語と日本語のチャンポンで私達と語り合ったことがある。)
せっかく、24年4月7日援護局より送付された戦場一帯の地図(1-20・1-21)を見ても、方位が不明で自分の歩いた足どりがつかめないのである。
(注)地図は次の記事に添付
日の出山の要塞付近で、休憩のひとときに、古兵に見せて貰った興安コーロ
ギの蛹というのも、今思えば兜虫の蛹ではなかったかな、というような気もするけど、色は褐色で大きさが握りこぶし位の大きさ、そして、右に左にとくりくり動いていた。
どちらが頭か、お尻かはっきりしなかった。
それとても、住民がそう言って教えてくれたのか、単調な陣地構築に飽きた兵が勝手にそういう名をつけて呼んでいたのか分らない。
ましてや、そんな大きな蛹がどんな成虫に成長していくのか見当も立たない。
それでも、その大きさからして、コーロギではないと思う。
本文中にある興安鮪にしても、本名とは違うように思う。
この魚は、淡水魚で白身、形態はボラのように鈍な感じの頭で、鱗は1枚もなかった。
表面の感じは鯰と全く同じで、つるつるしており、黒い斑点が不規則にばらついていた。
大きさはいつも50cm以上はあった。