お利口さんの姉と、じゃない妹。
母にはどんな些細なことでも言い返すことはできなかった。
まだ子どもだった私は、自分の思ってることを上手く言えず、何か言おうものなら遮られて、何十倍にもなって返ってくる。
最後にはきまって「お母ちゃんの言うこと聞いといたらええねん!」と言われ、どつかれる。
恐ろしいことにそれは、大きくなっても変わることはなかった。
そうすると、だんだん当たり障りのないことしか言わなくなっていく。
だんだん誤魔化すようになっていく。
母の顔色を見、空気を読み、『さわらぬ母に祟りなし』になっていった。
姉は幼い頃から母に従順で、母からすると自分の言うことをよくきく子どもだったが、私は逆で言うことをきかない子どもだった。
口では「は~い」と言っておきながら、陰では自分のやりたいようにやっていた子どもだった。もちろん、制約はあった。なんでもかんでも自分のやりたいようにはできない。ほぼできないといってもいい。でもコソコソと母の目を盗んではやれることをやっていた。
高校生になった頃、母から「喫茶店には行ったらアカンで!」ときつく言われていた。喫茶店に出入りするようになると、タバコを吸うようになって不良になる、と信じていたようだった。「はいはい」と言いながらも私は時々友だちと行っていた。それはただ単にパフェや好きなクリームソーダが目当てで行っていただけだった。タバコを吸う気もないし、吸おうと思ったこともない。しかもしょっちゅう行っていたワケでもなく、本当にたまに行ってただけだった。
母には度々「行ってないやろうな」と聞かれたが、「行ってないよ」と誤魔化していた。「ホンマかどうかわからんからな。子どもなんか信用ならんからな」とよく言っていた。
知らんがな。
ほな、聞くな。
と、これもまた私が心の中でいつも思っていたことだった。
言いつけをちゃんと守る姉。
真面目で成績も良かった姉。
日曜日に出掛けることなく、いつも家に居た姉。
母にはそれがお利口さんの在り方だった。
方や私は、毎週ではないけど日曜日に友だちと出掛け、朝10時に待ち合わせをして、夕方6時までには帰ってはいたが、母が5時までに帰ってこいと言ってるにもかかわらず、それを守ったことはないので、母はいつも
「朝からどこほっつき歩いてるんや!ホンマあんたは糸の切れたタコみたいに!」と怒鳴っていた。
言われ過ぎてこっちが耳にタコできるわ!
じゃない妹の心は、口が裂けても言えない言葉で溢れていた。