絶望の淵に 陥ったら
岸田ひろ実さんの著書を読んだ。
私も、1つのコミュニティーにだけ属すのではなくて、
複数の顔、立場をもっていたことが支えになった。
実家からは自立しているので、こどもという立場ではもう考えていない。
親という顔、仕事をする顔、だけでなく
3つ目の顔、これをもっていたことで 救われた
自立して生きることは人生の柱にしていた。
小さい頃から母親に、仕事をもちなさいと言われていた。経済的に自立しているということは、とても重要なことなのだと教えられてきた。専業主婦になるという選択肢はなかった。
岸田ひろ美さんの
「ママ、死にたいなら死んでもいいよ 娘のひと言から 私の新しい人生が始まった」
終章 で
一番つらかったことは何かと聞かれると、私は迷わずこう答えます。
「誰からも必要とされないことです」
二人のお子さんは、ママである ひろ実さんを絶対に必要としていたと思うのだが、
その意識さえも霞んでしまうくらいの絶望を病院のベッドや、一時許可の外出先で感じられていた。
体の不自由さがこどもを残して死ぬことを上回るつらさがあったのだと思い知らされた。
長い年月を病院で過ごし、行きたいところにも行けない、食べたいものも食べられない、今までできていたことができなくなるという絶望
程よい幸せが危険なことを知っている。
『病院にいれば 看護師さんが手厚く看病してくれ、時々お見舞いに来てくれる人もいる』
『住む家がある、戻れる場所という安全地帯がある』
絶望の淵に立った時、程よい幸せは危険になることを知っている。
人権蹂躙(じんけんじゅうりん)する人は。。。
心が豊かではないから、満たされていないから、
他人に優しくできないんだなと、これまでならスルーしてきたことも、
凄まじい負のかたまりを抱えた、人とは呼べない爆弾のような物に会うと、周囲の人たちは疲弊する。
アメリカでは当たり前にカウンセリングが身近にあって・・・
日本では敬遠されがちなカウンセリングを受けてみたら・・・
赤の他人だから、専門の方だから、つらつらと話をすることができた自分がいた。
そして、絶望の淵に立っていながらも、
第3の顔をもっていたことが、自分の救いになった。
ボランティア活動だ
育休中に社会との繋がりを、自分にできることをと模索していた中で出会ったボランティア。
たくさんの職種の方との出会いが、次々に繋がり押し寄せ、あれよあれよという間に、大きな形になった。
爆弾に遭遇したとき、それとは別のボランティア活動も行っていた。
ボランティアとは、こちらから何かできることを・・・と足を運んだのにも関わらず、逆に元気をもらうことが多いと気づかされたのは、取り組んでみてからだった。
スーパーボランティアの尾畠春夫さんがいらっしゃるが、テレビ越しからも底はかとない明るさと元気をもらった記憶がある。
不思議だが、ボランティアにはそんな力がある。
新社会人のみなさん、苦しい思いを抱えている方、
仕事辞めたいという方、
ボランティアには、そんな力がありますよ。
岸田ひろ実さんは「とにかく大切な人の役に立ちたかったのです」と書かれていた。
現代には、書くのもはばかられる様々な ハラスメントが溢れる。
時には、他人を絶望の淵にまでおいやってしまう攻撃。口撃。
いったい今の自分に何ができるのか?という方、
ボランティアに1歩足を踏み入れてみる価値はありました
素敵な出会いがありますように
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