重役会議【ショートショート】
その先生がぼくに何をしようと、ぼくはその人のことを先生だと思ってる。その人に殺されようとも僕は、ある日ある時、その先生からかけがえのないことを学んだからだ。その人との現時点での最期がどんなものだとしても、嬉しい別れ、喜びのハグ、友情の握手、喧嘩別れ、殴り合い、たとえ離縁だとしても。いつか先生がぼくに教えてくれたことは、今、ぼくを生かしてくれている。先生とのその時間が、ワープして未来の1ページになったとしてもだ。ぼくは先生のその教えに驚嘆し、同じように、先生を感謝するだろう。先生をなくして今の僕はいないからだ。そして、その時の先生は僕の中で姿をかえて、僕を美しくてらし、そしてその語る姿は、まるで、青春時代の親友のように、純粋無垢だ。ぼくは信頼をかけて全てをうちあかし、先生の話を受け止めることができた。
先生は僕がシャワーを浴びているときに、とびらを突き破って浴室に入ってきた。お前は私のもとから去りなさい。僕は犯罪者予備軍でファンダメンタリストだ。世間は私といる君をあやしみ、そして罵倒して、濡れ衣を課して、そしてあなた過激な思想のもち主だとして、迫害されるだろう。
だから頼む私が酔っていたとしても、酒場で声をかけるのはもう、、よしてくれ。
先生は妻をなくしたばかりだった。じゅんさんという美しい女性。満月みたいな人。ぼくは先生からじゅんさんの話を聴くのが大好きだった。妻の話をしている先生は、まるで高速道路をオープンカーで駆け抜けていくドライバーみたいだった。
その風景とみえる夜景を口にするだけで、全てはロマンチックになり、輝いていく。まるで全ての世界にその言葉が輝きとなって伝播していくかのよう。
あの日、先生がドア突き破り、シャワールームに入って来なかったら、ぼくは泥になって排水溝に溶けて流れていたかもしれない。そして実際にぼくが消え入りそうなときに先生がぼくを助けてくれたんだ。
JR姫路駅前で歌をうたっていた青年。スキンヘッドなのに、ギターは繊細なタッチで一音一音、丁寧に鳴らしている。そして歌声は信じられないほど透き通っていて、耳を疑うほどのハイトーンボイスだ。
あの時、たしかに全てが調和していた。町の風も、木々のにおいも遠くで流れる水の音も、秒針も、走り去っていく車も、その全てがシンクロしていて、ぼくは、一瞬たりとも、その青年との時間を無駄にはしたくなかった。初めて会ったのに、初めてな感じがしない。そして一曲の演奏後、話しかけみると、フランクでとても人懐っこく、笑い顔は、まだ少年のようだ。ぼくは即座にこのミュージシャンに、なにかをギフトしたくなった。その思いがテレパシーとなったのか、彼が口をひらいた。
「何かぼくに食わしてください。3日みばん何も食べてなくて。、」
その話をすると元気だった青年が急にやつれて見えた
「このままじゃ、ぼく」
いつも冷静なつもりな私も、この時ばかりは話を遮ってしまった。
「わかったわかったから何も言うな、このあと魚町で重役会議をする。この会議はまぎれもなく、君のためにあるんだ。今わかったよ。神様がまるでそう言っているかのようだ」
クリスチャンってことは隠しておこうと思ったのに口走ってしまい、まるで催眠術にかかったかのように語ってしまった。その流れるギターの音がそうさせるかのように。
彼は、遠慮せず、韓国料理店を指差して、韓国風お好み焼きを食べた。一枚2000円もするしろものだ。韓国風お好み焼きと言わず、チヂミと呼べばいいのに、まあいいさ。世の中には思い通りに行かない事がたくさんある。私は会社を退社したばかりで、多額の退職金を持っていた。重役会議とはその多額のお金をどのように使うかを信頼できる筋の者たちと話合う機会だ。
そんな会議の前に私は、この魅惑の青年と出会ってしまったわけだ。たいして男前でもなく、印象の薄い顔つきなのに、その醸し出すなにかが私を魅了してやまない。花の蜜のようで、霊にとても甘い甘い音楽。同性愛者でもない私があまりに虜にされてしまったのだ。そしてわたしのことを
「先生」と呼ぶ。
重役会議は魚町にある、完全会員制のBARで行われた。だがしかし、その青年の到来で話は大きく変わってしまった。私の心は決まっていた。この音、いやこの男のために、退職金の大半を出資すると。思い切って重役会議でそのことをみんなに話すと、大半の人がその事を否定し、やめたほうがいい。と言った。
だが、私の心は決まっていた。
その証として腕に巻いていた、coachの時計を手渡した。世間がこの姿をみたら貢いでいるというだろう。だが違う。説明はできないが、この男は贅沢が私以上に似合うのだ。そしてそうあるべきなのだ。これが私の欲望なのだろうか。それもなぜかしっくりこない。この男が涼しい身なりをしているのがあまりに自然なのだ。
私はBMWにこいつを乗せて、日本中に演奏旅にでると、静かに決意したのだ。そして、その日にうちにその金を手渡してしまったのだ。
彼は黙って受け取ったが笑顔はなかった。俺は逃げられてもいいとさえ願った。だかそいつは逃げず、俺が通う田舎の教会についてきて、日曜礼拝にも参列した。そう思えばその歌声はまるで、天上の賛美のよう。いや天上の賛美が聴こえたなら、本当はこんな音楽なのかもしれない。