不思議な体験 〜ユーミン
いつからかそれはずっと頭の片隅にあって、朝目が覚めると自動的に脳内を駆け巡ってスタート。
今年は特に忙しい日々で、あれもこれもと考えねばならないのに、この一曲だけがリフレインされ続けているのが不思議でもあった。
1980年代のその歌は、旅人のようにふらりと生活の拠点を変えて過ごしていた私の自由な青春の思い出の中にあった。
ユーミンの歌詞はとても魅力的で、でもまだ若かった私には恋愛の奥深さを理解出来ない事もあり未知の世界。
そんな中でこの歌詞はとても印象的だった。
子供の頃から興味があった不思議な事、、、この後の人生においてもこの部分は変わらずにある。
その頃に出逢った夫も、とても不思議な人だった。
私の好奇心が、その後の私の大きな負担になろうとはその時はまだ知らなかったけど。
これは又別の話。
ユーミンの『不思議な体験』は、その歌詞だけ読むと幽体離脱のようでもあり、実際に彼女が体験したのかと思うほどリアルに感じる。
不思議好きの私だが幽体離脱の体験は無い。
それでも見えない世界はあると信じてるし、時々その接点にいるのでは?と思う時もある。
その時は不思議だなと思って、その後にああそういう事だったのかと分かる時も多々ある。
それはある日唐突に知る事になった訃報だった。
6月最後の日曜日の朝、私は久しぶりに友人にメッセージを送った。
埋もれがちなメールではなく、敢えてメッセージ機能を使ったのだけれど。
水曜の夕方、返信があったらしい。
、、、らしいと言うのは私が気が付いて無かっただけでその夜、彼女の名前で電話が来て呑気な声で出たら男性の声だった。
彼は夕方連絡をした友人の夫だと名乗った。
その瞬間私はテレビの音量を慌てて下げて、夕方?連絡?見てなかったぞと悔やんだところでもう遅い。
その声のトーンは私を不安にさせ、何故彼女ではなくご主人からの連絡なのだ?と訝しんだ。
メッセージの返信内容に何が書いてあるのか?
焦る気持ちと聞きたくない気持ちが更に不安を掻き立てた。
ご主人の言葉はゆっくりで、一つ一つ選ぶように発する。
私は彼女といつ会った?
私は彼女とその前の連絡はいつ取った?
ぐるぐる頭の中で考えるが今年は会ってなくて、半年も間が開くのは初めてだったが自分も忙しくそれ以上に彼女は忙しいと思っていたので、今のこの事態をまだ理解出来ずに聞いていた。
長男の嫁である友人は、認知症の義父の世話を何年も続けていた。
私達の繋がりは、介護仲間だった。
似たような境遇で同じように認知症となった義父の介護をしていたのだ。
一足早く介護の世話を終えた私だが、年に数回の家族交流会には都合のつく日は顔を出していた。
しかしあのコロナが世界を変えてしまった。
交流会は無くなり、その為私達2人で交流会は続けていた。
実は支援センター主催の交流会は私の望む形ではなくて、私達は2人で会って近況報告しがてらゆったりした時間を作る事が小さな幸せでもあった。
まだまだ先の見えない彼女の介護生活は、やはり心配だったし痩せていく姿も見ていた。
そんな彼女に何があったの?
それはお正月の事だったとご主人は重い口を開いた。
認知症の父と2人で初詣に行き、帰宅したら彼女は倒れてて、そのまま帰らぬ人になったのだと。
昨年彼女のメールに意識を失っていた時間があったようだとは書いてあった。
ご主人の話では不整脈があり、ペースメーカーの話も出ていたらしい。
自分の身体を騙し騙し、義父の世話をしていたのだろう。
それを思うと涙が溢れてきた。
その瞬間、あのユーミンの『不思議な体験』が脳内に流れてきた。
いつからだった?
春先?いやもっと前から?
この歌詞は彼女のメッセージだったのか?
近いうちにお線香をあげに行く事にする。
ご主人の連絡先を聞いた。
夜勤の時もあるそうで、お互いの日程調整は必要だ。
お義父さんはお元気ですか?
と聞いた、世話をするのは難しくてと話されたので施設に入ったのかもしれない。
彼女はいつもご主人の事を気遣っていたのを知っている。
農家でもあるので休みの日は田植えや稲刈りだと大変そうだった。
農家の長男の嫁、、、
義姉や義妹たちの存在、身内に理解されない事がどれだけ孤独だったか。
電話を終えて、埋もれたメールを探し回った。
私の最後のメールは大晦日。
彼女からの返信は元旦、、、
忙しい年末の事が書かれており、私の身体を気遣ってくれていた。
それが最期になるとは思ってもみなかった。
本人ですら、そうだろ。だからこそ尚更、あの歌詞が彼女の気持ちだったのではないだろうかと思えてくる。
今度逢いに行くね。
もう又ねって言えないのがただただ寂しいね