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フナのように雌伏すること
noteをやっているとこれはこれで、Twitterとは別の川が流れているのを感じるときがある。noteにもそれなりに他の人の気配というのはあって、何人かTwitterからは姿を消した人がnoteで発信していたりする。またTwitterをやりながらnoteでは少しキャラを変え、別の話題を書いている人もいる。
もちろんTwitterに比べると人が少ないのは否めない。まあnoteにかぎらず、ブログ全体が流行っているとは言えない。ブログの全盛期はゼロ年代で、10年もしないうちにSNSにおかぶを奪われたが、ようするに何千字も書ける人がそうはいないのだ。かんどるという相互の人が「仕事以外で1000字以上の文章を書く奴は頭おかしい」と言っていたが、まあ言わんとすることはわかる。黒田寛一も、弟からすれば「離れで一日中本を読んだり書いたりしてる頭のおかしい人」(大意)であった。
つまりブログは、万人が発信者になれないんですね。べつに一言で更新できなくはないし、実際しょこたんや眞鍋かをりはかなりの短文で更新していたが、あれはひとつの割り切った使い方で、設計からしてどうしても長文を書けというような圧はある。
そんな中でTwitter。これは設計的にいっても、短文で更新するのにめちゃくちゃ向いているんですね。で、やっぱり見てるだけより参加するほうが楽しい、ってんで大いにユーザーを獲得し、ブログは廃れた。
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話を戻すと、そんなわけで現在はブログは流行っていない、というかブログといえばゴミカスみたいなアフィブログが最初に思い浮かぶような惨状になってしまった。
しかし上で述べたように、noteではTwitter休止中の人やTwitterではあまり発言してない人が案外書いていたりして、用水路を覗き込んだらドジョウやフナがいたようなのどかさがあり、ちょっとほっこりするのである。そんじゃ自分も、とばかりにカフェオレでも飲みながらなんか書いて更新する、そういうひと時って悪くないですね。
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でもそれだけではない。というのは一敗地にまみれた人が、力を蓄えて再起する話ってけっこうあるじゃないですか。
レーニンがベルン図書館でヘーゲルを研究した(あの『哲学ノート』の遺された)時期は、第一次世界大戦に起因する第二インターナショナルの崩壊という大きな挫折があり、半ば隠遁生活を強いられるようなかたちで「しゃあないから勉強するか」とやっていたら案外そこに豊かな成果があって飛躍した、みたいな話だったし、南方熊楠の那智隠棲時代もそのようなものとして始まったという。
ほんとうのことを言うと、熊楠はていよくこの熊野の山の中に、追い払われたのだ。ロンドンでは一流の学者の仲間入りをしていたとはいえ、何の学位もとらずに、ぼろをまとってもどってきた熊楠に、日本人の世間は冷たかった。いたたまれなくなった彼は、そこで粘菌研究にうちこむことを理由に、さっさとこの山中に籠もってしまった、というわけなのだ。
だが、この那智隠棲時代は、熊楠の思想の発展にとっては、とても大きなプラスになった。この時代のことを記録した彼の日記を読むと、記述の断片の端々に、このときの彼の思考が絶後の高まりにたどりついていたことを、はっきりと感じとることができる。
司馬遷も宮刑を受け「これってもう死んだほうがマシなんじゃないの…?」と精神的に追い詰められつつも、「いやいや『史記』を完成させることが最大の復讐なのだ!」とばかりに、そこからの踏ん張りで、けっきょく同時代のどの王や武将よりも、その名と仕事を不朽のものとした。
……歴史家はただ、記録するのみである。ただ記録すること、それのみによって、他のことはなさぬ。しかし彼は、記録によって、あらゆる事をなすのである。歴史家は、為さざること無し、でなければならぬ。何故ならば、彼は万物の情を究め、万物の主となるのであるから。
そういう雌伏の感じが、noteにはある。
Twitterは注目されるホットな場ではあるが、どうも刺激的・露悪的な言葉で耳目を集めるようなふるまいが目立つ。思考を深めるよりもさまざまな要素を捨象して極論めいたことを断言したほうが注目されるようだ。
そういう、熱気はあるかも知れないがやかましく殺伐としたアリーナだけでは、悲しいではないか、人として。
だからこういう、敢えてちょっと人けのない場所で、ツイートやスペースの発言よりかはもうちょっとじっくり考えたことを書いてゆく、という場が僕には必要だし、近頃、ますますその必要性を強く感じているのでした。
これからもどんどん書いてゆきたいです。ではまた(・ω・)ノシ
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