更約聖書

人はどうして生きるのか考えてみた。
人が生きることには2つの目標がある。生まれた意味、人生のゴール、生きる目的、といってもいい。

それはこの2つだ。
1.ヒトとして成功すること。(金を持つ、名誉を得る、子孫を残す、友を持つ…)
2.生命について哲学を行うこと。(なぜ命はあるのか、意識はどこから来るのか、この世界はなぜ存在するのか…)
一つずつ解説していく。

1.ヒトとして成功すること。
言い換えれば「社会」というゲームに勝つ、ともいえる。これは地球上のすべての生物が参加しているゲームだ。その勝利の要件は以下5つ。
Ⅰ.金を得るー生活の物質的な諸不安を無くし、行動の自由を広げる。
Ⅱ.名誉・地位を得るーある分野で目標を達成し、周囲への影響力と自己尊厳を保つ。
Ⅲ.子孫を残すー動物として自身の遺伝情報を培養し、次世代へ伝える。
Ⅳ.友と配偶者を持つー他者を惹きつける魅力を持ち、保持することで、行動を円滑に行うための仲間を得る。
Ⅴ.仁徳ある者となるー上記の成功を社会的に許容される手段で行う。上記4つのエネルギー源「欲」を持ちつつ、幸せになるためであり、単純に4つを達成しただけでは必ずしも幸せになれるわけではない。また、社会的に許容される方法で上記4つを達成したものは制裁を受けることとなり、結果としてすべてを失う。

ヒトーホモ・サピエンス、ここでは知性ある人というよりも動物としてのヒトーをはじめ、すべての地球上の生物はこのゲームに参加している。そしてこのゲームの目的はただ一つ「生物として勝者になること」。私たちは生まれながらにしてこのゲームに有無を言わさず参加しており、そして無条件に勝利を目指している。それをあきらめることは即ち負けを意味する。このゲームに勝利するために、私たちは人生の大半をゲームの勝利条件に少しでも近づくための努力に費やしている。それは、仕事である。

これらはそのまま、仕事をすることの意義、仕事の意味、仕事をする理由につながる、その理由は「『ヒト』として勝つ・成功するための条件に近づくため」言い換えれば「参加しているゲームに勝つため」である。
さらに「なぜ仕事をするのか」という疑問は、「なぜこのゲームに参加しているのか、そしてなぜ勝たなければいけないのか(勝ちをめざしているのか)?」という疑問と同義である。ここについては後述する。

興味深いことに、これまでの人類史上の全ての社会貢献(発明など)は、例外なく、各個人がゲームに勝つためにした努力の結果である。そしてその社会貢献によって、このゲームは勝つことがより複雑に、難しくなっていくのだ。

だがここで不気味なことを言おう。私たちが参加しているこのゲームは、さっきはその目標はそのゲームに勝つことだと言ったが、それは参加している私たちの理屈である。実際ゲーム自体は、私たちがそれに勝つことを目的には作られていない。しかし、あたかもその勝利が目的であるかのように、巧妙に、見せかけている。私たちの大部分は勝つことだけが目標かのように錯覚し、生きている。しかしこのゲーム自体の本当の存在意義は、私たちをこの罪に縛り付け、苦しませ続けることにある。

ゲームは勝つことが目的だが、実は永遠に勝てない仕組みなっている。どこまで勝利の条件に近づいたように見えても、永遠に勝てない。それは私たちはゲームの勝利条件らしきもの知ってはいるが、勝利の暁に何があるのかは示されていないからだ。だから、永遠に勝利を意識できないし、だからこそ永遠にゲームにのめりこむ。勝利を目指して永遠にもがきつづける。それは苦しみであり、私たちに課せられた罪なのだ。

では、その罪はいつまで続くのか、この罪を抜け出す方法は何か。

それが、私たちの隠されているもう一つの目標。
2.生命について哲学を行うこと
命題:これは宇宙、生命、世界の意味、存在意義について考えることだ。

私たちはなぜ生まれたのか?なぜ生きているのか?なぜこのゲーム(罪)に参加しているのか?参加しなければならないのか?

そもそもなぜヒトだけが他の動物とくらべ高次(と思える)な「意識」を持っているのか?私たちヒトの参加しているゲームだけが、進めば進めるほどより難易度が増す設計になっているのはなぜか?
私たちはあることを知らなければならない。それは、私たちの本質は、ヒトの身体に乗り移った「意識」である、ということだ。

動物としてのヒトの身体に、私たち高次な存在の意識が入り込んでいる。これが我々の罪の証である。私たちは物質的ではない、高次な意識を本質として持ちながらも、その意識はヒトという猿の身体に埋め込まれているために自由がなくなってしまっている。そしてその「我々としての意識」は、ヒトに個人があるように分割したように思われ、本来ヒトが参加してるゲームに協力している。まるで、私たち「意識」はそのゲームに勝つために生まれてきたように。

ゲームに隠された真の我々の勝利条件、それは意識の統合である。
命題について万人で共通した、最終的な絶対の解を全ての魂で共有すること、個別だった意識が一つとなることが、我々が全員でこの罪から抜け出す方法である。
そしてその共通の解は、この勝利条件自体である。私たちが皆、私たちがゲームに参加していることに気が付くこと、そして、見せかけではない真の勝利条件に気づくこと、それが勝利条件なのである。

意識を一つにするために、解を共有するために、我々ー先に気づいた者ーは、他の「意識」にこの解について耳を傾けてもらわなければならない。そして、さあ、ここで元に戻るが、大部分の「意識」(我々であり、分かれてもいるもの)は、自分たちはヒトとしてのゲームのために生きていると思っている。そうしたヒトと自分自身の意識の違いに気づいていない「人」たちに、聞いてもらうためには、私たちはヒトとして成功しなければならない!!!

だから、ゲームに勝たなくてはならない。そして、一つでも多くの条件を達成し、他の「人」に対して影響力を持ち、話を聞いてもらわなければならない。

なんと狡猾な仕組みであろうか!我々意識は、この罪から逃れるために、用意された罪を受け、見せかけの勝利を目指さなければならない、そうしなければ、本来の勝利を勝ち取ることはできないのである。