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鬱と酒

先日二十歳になってからというもの、酒を飲んでいる日の方が、飲んでいない日より明らかに多い。

別に大した量を飲んでいる訳じゃない。家でつけてある梅酒か、強くたってせいぜい7%の缶チューハイ1缶。さほどのことじゃ無い。


北欧の国はアルコール依存症の人が多いらしい。緯度が高過ぎて、太陽が昇らない時期や沈まない時期があって、それが精神に影響するんだとか。だから鬱になりやすく酒に溺れやすいと。

北欧に限らず一般に、鬱の人は酒を飲みたがると言われている。辛さを忘れられるから。

酒さえ飲めば、一時的に気分が楽になると学んでしまう。そしてただ酔うために強めの安酒を買う。酒を入れることが大事で味は極論どうでもいいから。酔うだけなら、安くて強ければそれでいい。安いから買えてしまうし。

そしてだんだん量が増えて、いずれは無いとやっていけなくなる。


分かってる、そうなることなんて調べなくても分かってる。でも今日も飲んでる。昨日も飲んでた。明日の分も買ってある。

だって飲んだら今ちょっとだけ楽になれるんだもん。

どんなにもがいて生きていたって、苦しみが解決されることはない。誰かが話を聞いてくれるわけでも手を差し伸べてくれるわけでもない。パンセクシャルとXジェンダーの話が絡んじゃうから、ぼくから誰かに助けを求めるのも難しい。

価値観が違いすぎるから、ぼくを理解してくれたり共感してくれる人はまずいない。愚痴を吐いたところで分かってもらえない。

かといって、何をどうしたって今は変わらないし、自分を変えるったって限界がある。

この歳になればいい加減未来も見え透いてくる。これからなにか逆転したり大きく動くことはもうない。

苦しみはずっと解消しない。

でも、缶チューハイなら1缶100円ちょっとで買えるし、1人で飲んで1人で自己解決できる。取り敢えず今をごまかせる。誰かの手を煩わせずに済む。ODするより身体にも財布にも負担がない。

じゃあもうこれでいいじゃん。

依存して精神もおかしくするって言ったって、今更。既におかしいし普通じゃないし。LGBTなんて異常で腫れ物扱いなんでしょ、生きてればひしひし感じる。

仮に色々壊れてしまったって、それで誰か困るわけでもないじゃん。

バイトで働いてるだけだし、代わりはいくらでもいる。大学に行こうが行くまいが誰も困らないし、部活だって後輩が入って頭数も揃った。ぼくがいなくても何事もなく回っていく。誰か困るでも悲しむでもない。

友達だって少ないし、その少ない友達もみんな自分の幸せを見つけていった。わざわざぼくに時間を使ってくれるわけでもない。もう会うことも難しい。

じゃあ酒に溺れて早晩死んだっていいでしょ。元々長生きなんて望んでないし。

誰かに望まれてるわけでもなくて、誰かが悲しんでくれるわけでも求めてくれるわけでもなくて。苦しいばっかりで何のために生きてるか分かんなくなる。


もうこれから、幸せが手に入らないことは分かってる。みんなが手に入れたからってぼくには手に入らない。よくわかった。みんなぼくの眼前で自由に幸せに生きていくんだ。

じゃあぼくだって好きにさせてくれてもいいよね。酒に溺れるくらいのわがままは通ってくれてもいいよね。幸せになれないんだから、それくらいは許してよ。みんなの邪魔はしないしとっとと消えるしさ。

酒飲んでたらまともに書けないや。もう悲しいばっかりだから終わり。

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