これまで疑問だった学歴と労働市場の不思議な現象

筆者は、東大に合格し就活をするまでは、どちらかと言うとメリトクラシーに染まった種類の人間だった。筆者の昔の考え方は、基本的には以下の様だった。
「投入した努力量に比例して、その対価として受け取れる報酬(ここで言う報酬は金銭的なものに限定されず、WLBや福利厚生等も含めた総合的なもの)は大きくなるはず。神の見えざる手によって必ず市場原理が働くはず。世の中は美しい世界になっているはずだ。」
ただ実際の労働市場は全くもってそうはなっていなかった。
どちらかと言うと摩訶不思議な現象が数多く生じていたのである。
今回は、筆者が社会に出てから遭遇した数々の不思議な現象に関して述べてみたいと思う。これらの数多くの疑問に対して、noteで文章を書いている内に解消されたものもある。改めて思うが色んな人の考え方に触れることが出来るという意味でnoteは素晴らしい。

それでは以下に列挙していく。

1.なぜ労働の入り口の部分である就職活動においては、東大は早慶以上の括りで片付けられてしまい、その努力に比して大した恩恵を享受できないのだろう

2.民間企業で働いていると京大卒を見る機会が少ない。諸説あるものの、日本で2番目に位置づけられる彼らはどこに消えてしまったのだろうか

3.東大に入るには、10年単位の継続的な努力が必要である。それが1年程度の留学によっていとも簡単に就職活動では逆転されてしまう。なぜこのような薄っぺらいガクチカに面接官は騙されてしまうのだろうか

4.東大とそれ以下の大学では、在学中の勉強の負荷は明確に異なる。進学振り分けの存在もそうだし、取得しないといけない単位の数も異なる。その結果就職活動に割ける時間も異なるのに、東大優遇は殆どない。これではコスパの観点で考えると東大はかなりお買い損大学なのではないか。そして意外にもこう言った声が上がることもないのはなぜだろうか

5.更に言うと、東大は厳しい負荷に耐える必要があるが、当然その負荷に耐えれず留年するものも出てくる。つまり各大学で課されている負荷は異なるはずなのに、各大学一律で留年や既卒は不利として扱われてしまうのはなぜだろうか

6.東大に入り卒業するのと、士業に合格するのではト―タルでの負荷は同程度であるにも関わらず、前者の方が遥かに待遇も悪く人生の自由度も低い。同じだけ負荷をかけるのであれば、何故多くの人は東大受験を頑張ってしまうのだろうか

7.そもそもなぜ、東大卒は医学部に入らなったのだろうか。その勉強の才能で利確しようと考えなかったのだろうか

8.社会に出ると、ホワイトで待遇の良い隠れ優良企業には東大卒は少ないもしくは皆無である。東大卒はなぜホワイト企業から嫌われるのだろうか。なぜ東大卒はホワイトな会社で働くことは出来ないのだろうか

9.なぜ東大卒には「ハイパー」な生き方、もしくはドロップアウト組として嘲笑の的になる生き方の二択しか与えられていないのだろうか。東大卒も同じ人間なので、ゆっくり生きることを許容されてもいいのではないか

10.入り口の就職活動で失敗した東大卒は、その後どれだけ努力しても医学部再受験や士業などの「東大卒」としての生き方を捨てない限りは這い上がれることは無い。なぜかくも日本社会では失敗は許容されにくいのだろうか。そしてなぜこれほどまでに新卒就活は重要なのだろうか

11.東大卒は、社内地位は転職市場では価値の低い部署に配属されやすい。
転職市場で評価の高い職種には東工大や一橋、早慶の上位学部の方が配属されやすい。そしてこういった社内地位は高いが、転職市場での評価は高くない部署は総じてブラックである。なぜこのような逆転現象が生じてしまうのだろうか

12.社内の出世と言う観点で見たときにも、東大卒と言う肩書よりも理系院卒や女性、帰国子女と言った肩書の方が強い。出世において学歴が殆ど意味をなさないのはなぜだろうか。業務でのスキルや成果が実は出世において殆ど関係ないのはなぜだろうか。そして意外にもこの事実に気づいている人が殆どいない、もしくは見落としているのはなぜだろうか

13.JTCに入った東大卒は、驚くほど転職しない。転職活動を通じて外資系に転職していくのは専ら早慶卒ばかりである。東大卒はどこでその上昇志向を失ってしまったのだろうか。それとも最初から上昇志向が無いものが、JTCに入っているのだろうか。もしくは彼らには転職市場で評価されるスキルセットを有していないのだろうか

14.東大卒の中でも東大文系が置かれている労働環境は非人道的なものばかりである。その一方で、東大理系比較的ホワイトで自分の時間を確保しやすい。なぜ同じ大学であるのにこのような差が生じてしまうのか

15.転職市場では、海外MBAは有利に働く。たった1~2年の留学で何かが変わるとは思えないが、何故その後のキャリアが決定的に変わってきてしまうのだろか

16.これほどまでに東大進学には旨味が無いにも関わらず、近年東大の難化が進む要因は何だろうか。そしてペーパーテストの受験には殆ど意味がないことが知られつつあるにも関わらず、中学受験が過熱してしまう要因は何か

17.これほど労力に見合わない結果しか待遇しか得られないのに、東大卒が不平不満をこぼすことが少ないのはなぜか。そこにはやはりプライドの問題があり、不平不満を言えない環境があるのか

18.東大法学部の学生、つまり文一に入る学生は受験生時代少なくとも東工大、京大の理系学生と変わらない数学力を有していたものが多い。それなのにアクチュアリーやクオンツ等の金融専門職で東大法学部が殆ど採用されないのはなぜだろうか。なぜ人事部は東大法学部の学生が有している数学力のポテンシャルに気づかないのだろうか

19.なぜ東大卒はその受験生時代のパフォーマンスに比して業務では大した成果を上げることが出来ないのだろうか。言い換えると、受験生時代の圧倒的なパフォーマンスを社会人の実務において発揮できるものが限られているのはなぜだろうか

20.東大卒はなぜ地方の優良企業からも嫌われるのだろうか。東大卒はなぜ、東京か自分の出身地でしか働けないのだろうか。そしてまたなぜ東大卒自身も東京で働く以外の選択肢を持たないのだろうか

21.仕事のキャッチアップは東大卒であれば、半年もあれば可能だと思うのだが、転職市場で東大卒がポテンシャル枠で評価されることはないのはなぜか。20代後半で転職するとして残りの労働期間は30年以上もある。それなのに、最初の数年間で、もっと言うと入口の新卒段階でキャリアの方向性が大方決まってしまうのはなぜだろうか。また転職市場において東大卒の肩書が殆ど意味をなさないのはなぜだろうか

22.どうして転職活動においては、5教科7科目を幅広く修めたものよりも、1科目を極めた特化型のほうが活躍出来るのだろうか。そして近年では更にその傾向が強まりつつあるのはなぜか

こう言った疑問を筆者は長年感じていたのだが、社会に出てからというものの、これを実際に耳にする機会は殆どなかった。
皆思っているのかもしれないが、誰も言い出さないので何となく言うのも躊躇われるため、口にはしていなかった。
ただnoteを執筆、そして他者のnoteを読むにつけ、実際にはこれらに疑問を呈している人は結講いることが分かり、ある意味ホッとした。自分が感じていた疑問は決して自分だけが感じていた訳ではなかったと。

上記の答えに関してはイブリ―ス先生や筆者のnoteに記載してある通りである。
今後も引き続き学歴や労働市場に関するnoteを執筆していきたい。