悪いヤツが悪いことをすると考える危険
前編に続いて,若年層におけるルール教育整備の必要性と現状の課題について考えたいと思います。
4 ルール教育が必要だが……
研究不正行為という研究のルール違反を防ぐためにはルール教育が欠かせません。しかし,ルール違反者を悪人としてしまうと,ルール教育は道徳教育と同じになってしまいますし,とくにルール違反者に対する再教育が難しくなるのではないでしょうか。
ルール違反を指摘することで教育できるが……
研究不正行為は良くないことですが,これはルールに対する良し悪しであり,違反者の人間性の善悪を問うものではありません。そして,とくに教育としてはルール違反者の復帰のための手法も必要になります。しかし,人間性の善悪とルール違反の混同は,ルール違反の指摘を難しくして,ルール教育への理解が進まないのではないかと考えています。
4-1 私は悪人ではない
「研究不正行為を行うのは悪人である」という思い込みがあると,研究不正行為者という指摘が道徳的な悪人であるという指摘に置き換えられ,指摘がしづらい,指摘されても活かしづらいという課題があります。
過剰な反応が起こりがち
研究不正行為について指摘したとき,「生徒は一生懸命やっていたから穏便に(見逃してほしい)」と言われたことが実際にあります。これは典型的な事例だと思います。「生徒が悪人ではないから」という理由で,生徒にルール違反の事実すら伝えず,「なかったこと」になっている例はかなり多いのではないかと思います。
しかし,ほんとうにこれで良いのでしょうか?
スポーツで考えるとわかりやすいと思います。ルール違反というミスは誰もが起こします。
しかし,ルール違反を指摘できないと,ミスを改善することができずに同じミスを繰り返してしまいます。また,ルール違反者を,人格的な善悪と混同すると,周りの人は「それ,大丈夫なの?」と懸念を表明することが難しくなります。結果的に研究不正行為が指摘されるのは,本人にとってきわめて重要な場面になってしまう可能性が高まるのではないでしょうか。
4-2 研究不正行為者の再教育
研究不正行為は研究のルールに関する違反ですので,ルール違反せずに行動できるように再教育する必要があります。しかし,研究不正行為者を悪人と認定してしまうと再教育が難しくなります。
研究不正行為者は,(無知も含む)何がしかの理由によってルール違反をしてしまいました。しかし,再教育によってルール違反しないように能力を使うこともできるはずです。そこで,研究界では,研究不正行為者の再教育について検討が進んでいます。以下に科学に関する権威的な雑誌,Nature誌の記事を紹介します。
Nature誌「悪意のない研究不正行為への再教育」
日本人で,研究不正行為を認定された渡邊嘉典教授もイギリスで復帰に向けたプログラムを受講しています。
Nature誌「解任された日本の生物学者はクリック研究所で再訓練の機会を得る」
こうした復帰に向けた再教育プログラムは,ルールは違えたが研究者として再起できるからこそ整備できます。研究不正行為を悪人の行為と考えてしまうと,こうしたセーフティネットの整備や利用が難しくなっていきます。
5 早期教育が重要
「子どもにはまだ早い」ではなく,「早くからルールを学ぶ」ことが重要だと考えています。たとえば,スポーツでは最初にルールの大枠を学びます。そして遊びであっても,試合であれば一定のルールは守るように指導されます。研究のルールも同じように学んでいくことはできます。
そして,一度習得した知識の再学習による修正は難しいことも,早期教育が重要な理由です。たとえば,星占いや血液型性格判断には,まったく根拠はありませんが,これらに一定の信頼を持つ人は少なくありません。血液型性格判断については大規模調査が複数回行われて,血液型による行動の違いに差はないことが、統計的に示されています(松井、1991)。しかし,どれほどデータを示そうとも,一度構築された概念を更新するのは難しく、いまでも血液型性格診断を信じる人が絶えません。
たとえば,米国ではノーベル賞受賞者を含む研究者が連名で「星占いを信じるべきではない」と新聞広告ししたこともありますが,あまり効果はありませんでした。
誤った知識を習得する前の児童生徒の段階で,適正な研究公正教育を行うことが重要です。自由研究や探究活動では,残念なことに改ざん・盗用を中心にした研究不正行為が行われる場合が多いようです。子ども時代に「これで良いんだ」と体得していると,研究公正の知識を学んでも,知識と行動が乖離して,「わかっているけど研究不正する」可能性が高くなります。
研究公正教育,つまり研究のルール教育では,研究不正行為はルールに違反したかどうかが問われており、その人の善悪は問われていない点をよく理解する必要があります。そして,自分自身も含めて、誰もが研究不正行為を行う可能性があることを常に心に留めておく必要もあります。そうした手法の開発について研究していきたいと考えています。
著書では研究公正について,研究計画の立案とともに学び,また事例研究も多く収録しています。ご一読いただければ幸いです。