普通のことができない
最近思うことは、なんで普通のことができないのだろうと思う。
例えば、結婚。
結婚に関しては普通ができないことが多々ある。
親の挨拶ができない。
親に合わせたくないという気持ちもあるし
親自体が子どもで段取りを向き合おうとしてない。
別に合わせなくていいならしなくていいけど。
結婚式なんて親を大勢の前で紹介しないといけない。
普通の親ならあいさつもできるだろう。
でも、できないし、任せられない。
私の場合、恥ずかしいというより起きる問題が予想される。
余計なことを言って場を凍らせる。
ひとの悪口や私への誹謗。
そういう発言が考えられる。
そんな状態では到底できない。
今でなら多くのやり方があるので親がいなくとも結婚式はできる。
あとは相手の親次第だからそれはまた別で。
年齢的にも周りは結婚してるのに、
私だけできないのは違うのではないかと思うようになった。
極力親との距離を保ちつつ、何かあったら切るくらいの勢いで。
縁を切るのは辛いが、今後のことを考えると楽だと思う。
もう少し、情というものが少なければよかったが
親の年齢が上がれば上がるほど
情が出てくる。
うまくまとめられないな
また、考えよう。
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