![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/127403490/rectangle_large_type_2_2b6fe17b1b3573b8059d843f1d5afdea.jpg?width=1200)
月影
万年筆のインクが届いた。
早速、発色を見てみたくて、万年筆に残っていた前のインクを抜き、コンバーターを水につける。紺のインクがコップの水へ、力なくほどけて行くのを横目に、新しい小瓶を手に取る。
ラベルには《POUSSIÈRE DE LUNE》の文字と、小さな三日月。瓶を動かすたび、深みのある紫色のインクが揺れる。その紫は光に透け、ガラス瓶と相まって、さながら宝石のように輝き、灯りを離れるとどこまでも私を吸い込んでしまうような、静かな闇へと変わる。
翌日、いよいよ新しいインクを入れる。
ペン先を慎重にインクに浸け、コンバーターを摘まみ、一息に吸い上げる。
幾筋か線を引いてみる。古を匂わせる落ち着いた色合い。
無造作に引かれた線に誘われて、私は紫式部の歌に行きつく。
めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲隠れにし 夜半の月かな
「夜半の月かな」と詠んだあと、ほのかな月影がいつまでも、あてどなく漂っているような感じがして心地よい。
見しやそれともわかぬ間に、雲のうしろに隠れてしまうものは、月ばかり、想い人ばかりではなく、物語の発想もそうだったのかもしれない。
一瞬間のめぐり逢い。隠れてしまった月の残光の中に、長い長い恋物語は生まれる。
もう一度、小瓶を光に透かしてみる。
今はただ揺られているだけの紫色のインクはいずれ思いを綴る文字へと変わる。そんなことを思っているうち、私はなんともいえない不思議な気持ちに包まれた。