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あをによし、奈良の都は (二)奈良の街を歩く
(二)奈良の街を歩く
興福寺を後にして、お寺の南に隣接する高畑町の蕎麦屋さんへ向かう。
お寺を出て信号を一つ渡ると、奈良公園に入る。公園内の広い道ではなく、右手の、少し丘になっている小道の木陰を歩いた。斑点模様の小鹿が小枝をくわえ、それを時折落としそうになりながら、そろそろと小道を渡っていった。
私がその様子を見ていると、鹿も不意にこちらをちらりと見つめたが、後ろ足で顎を掻いたあとブルブルっと顫え、また小枝をくわえ直して歩き始めた。丘を降りた所に鹿せんべいを持った外国人に大きな鹿が三頭ほど集まっているのが見えた。小鹿は、私がお煎餅を持っていないことに呆れて、さっさと向こうへ行ってしまったのかもしれない。
折角なら着物で行こうかとも思ったが、この暑さでは単衣でも暑苦しいに違いなく、かといって浴衣で行く気にもなれず、この日は洋装での散策にした。ここ二、三年、私はMIZUNO MR1という、ミズノの「Mライン」シューズを二足持ちするほど気に入っており、この日ももちろんMラインを選んだ。
真っ白のデザイン、つま先とかかと、所々がメッシュではなく少し毛の感じがあるバックスキンになっている、これといって新しいところのない、ありふれたシューズだけれど、洗って天日干しすると、その特徴のなさゆえか、まるで白い子犬が二匹いるように素朴で愛らしい。靴の舌についているラベルには「MIZUNO」の文字が五つの色で刺繍されている。メイドインジャパンの歩きやすさとスマートさに、履くたび惚れてしまう私の相棒だ。
今、気になって調べてみると、もうこのカラーモデルはホームページや他の通販サイトでも販売されていないことを知りがっかりしたが、調べていると、ジャイアント馬場が同じ靴を運動靴として愛用していたことを知り、私は思わず笑ってしまった。履きつぶれてくったりとした超ビッグサイズの運動靴には16万円の鑑定がついていた。
しばらく歩くと、道は丘を下り、やがて平坦になる。と同時に、右手に広大な緑野、左手には池、そして池の縁の百日紅越しに、浮見堂が小さく浮かんで見えた。お堂へと続く橋の曲線が美しい。野、山、池、草木。それらが日に照らされて青々と穏やかに広がっている様子は「青丹よし」の言葉がぴったりだった。
公園を抜けてようやく高畑町に着くと、黄土色の低い土壁に囲まれた細い路地が続く。この辺りは大きな家が多く、道端にはときどき毬栗が落ちていたり、土壁に百日紅の花が枝垂れかかっていたり、庭先の青紅葉のてっぺんだけがほんのりと赤く染まりかけていたり、閑かな通りである。
観光名所として整備された場所でなく、当たり前に人の暮らしが息づいている街並みや通りには、侵しがたい静けさと、その街本来の味わいがあるような気がする。しかし、私たち旅行者は旅の興奮を抑え、その静けさに忍ぶような緊張とともに街を歩くのだ。
その路地を抜け、車道へ出ると、ようやく「うどん・そば」の看板が見えた。
以前、ある書家がインタビューで、
「小学生の頃に、通学路にあった蕎麦屋さんの『うどん』「ん」の文字を、小学生ながらになんかええなあと思ってみてて、それが書道好きになったきっかけです」
と、楽しそうにいっていて、その感覚に、私も思わず共感の声をあげた。
筆蹟や字体にはどうしてこう胸躍らせるものがあるのだろう。ことに筆の文字は生き生きしたものが、そのまま伝わってくるから病みつきである。
「うどん・そば」の看板文字は、うどん・そばを丸ごと表しているし、定食屋のおじさんが、ざるでザっと麺の水気を切る音や、ざるの中で麺が踊っているようすまで想像させた。
竹の籬で囲まれた木造の家屋は、程よく木々の緑に包まれ、石段を数段上がったところにある入り口に『そば処 吟松』と書かれた深緑色の暖簾を風に揺らしていた。
暖簾をくぐると、私のように観光できている人や、地元の人などお客さんでいっぱいで、私はしばらく順を待った。店内は昔の食事どころといった感じで、パートのおばさんがせっせとお蕎麦やお茶やを運んでいる。
旅中のお蕎麦は、汗をかきかきやって来た私にとっては特別なご馳走だった。山葵と葱の香りが爽やかなざるそばと、小さい天丼にお腹も心も満たされ、外へ出ると、さっきまでの太陽は雲に隠れ、空はいちめん仄明るい灰色に覆われていた。私はふたたび土壁の通りに入り、この旅の第二の目的地、楽しみにしていた志賀直哉邸へと向かった。