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映画祭とジェンダーギャップ (JFP取材vol.01)

荒木啓子
ぴあフィルムフェスティバル(PFF)ディレクター。1992年より現職。国内外映画祭での審査員や映画イベントの企画運営、映画を通じた国際交流や新人の育成にあたる。
「PFFアワード」は、1年以内に完成した自主映画であれば、年齢、性別、国籍、上映時間、ジャンルを問わない自由なコンペティション。
日本映画界を担う多くの才能が輩出されてきた。


1) 女性映画祭ディレクターの実体験

荒木さんは雑誌編集、イベント企画などを経て、92年にPFFの総合ディレクターに就任しました。映画祭ディレクターが女性というのは、今でも珍しいですし、90年代当時ならなおさらです。

このインタビューを受けるにあたって、何か象徴的な体験はなかったか思い出そうとしました。そういえば、私がディレクターに就任したての頃、あるヨーロッパの映画祭ディレクターの来日時に会談した際に、暫く話したあと、「で、ディレクターはまだ着かないの?」と尋ねられて、「私ですけど~」と話して大笑いしたことがありました。

我々は、男性を基準とした社会に生きており、そこに、学歴や経歴、年齢などの要素が纏わりついてくるのは現実ですが、自分は、男か女かというとについて、特に考えずにやってきました。

それはなぜだろう、とおもったのですが、仕事柄、老若男女の映画を中心としたクリエイターとの初めての出会いの機会が絶えないので、とにかく、呪文のように「みんな同じ人間だ」と心で唱えながら、慣れることの難しい初対面の緊張を緩和しつつ、自分が本能的に「これは人としておかしい」と思うことはやらないように努める、ひとつの手法を獲得しようとしているのではと思い当たりました。と言いながら、まだまだ修行が足りないんですけど。

それはともかく、私たちの活動の中心は、「ぴあフィルムフェスティバル」という映画祭のコンペティション「PFFアワード」を通じて、映画の新しい才能の発見と育成を続けることです。この“発見”という部分は、作品を選考するプロセスが重要です。

私がディレクターに就任する以前、PFFアワードの作品選考に関わる人の大半は男性でした。直感的に「これはまずい」と思い、最初の選考にかかわるメンバーの男女比を男女同等にすることに努めてきました。

そして最終審査員5人の中に必ず女性を1人はいれることにしました。カンヌやベルリンといった国際映画祭や米国の大きな賞では、ここ数年、入選作や審査員の男女比についての議論が高まっていますが、PFFはそれよりずっと前からジェンダー平等について取り組んでいることを強調したいです(笑)

2) なぜ一次審査の男女比を同等にしたのですか?

例えば、自分自身が、日本及び海外の映画祭で審査員をした際に、男性と女性の審査員で反応が分かれる体験をしました。本当にびっくりするほど男女で評価が分かれる作品があるんです。とても驚きました。

具体的に思い出してみますと、男性は、生理や出産といった女性の体や、女性が家庭や社会で置かれた立場に悩んでいることについて、真の意味で理解していないことが多いことから来る反応の違いがあるとおもいました。それから、男性の描く女性に対する反応が、大きく分かれることもあったとおもいます。

 先日、この話題に関連する発見のある映画に出会いましたよ。

コロナ禍で、全く国内外の映画祭に参加できないおかげで、これまで参加できなかった都内の上映企画や映画館で時間を過せています。昨年末は、国立映画アーカイブでの原節子特集に通い、そこで「幸福の限界」(1948年、木村恵吾監督)を見ました。


原節子が演じた由岐子はある一家の次女です。結婚で苦労して実家に出戻った姉をみて、「結婚は性生活をともなう女中奉公」と言う型破りの女性。劇団の演出家の、貧しいながらもまっすぐな人柄に惹かれますが、父親は将来性のない男性との交際を許さず、典型的な良妻賢母である由岐子の母は、夫と娘の間で苦労します。

その過程で、由岐子と母親は戦後日本における結婚制度や女性の生き方について議論を深めていくのですが、小杉勇が演じた父親は、つまるところ、この二人の会話が、全くわからない。妻や娘たちが何に苦しんでいるのか、さっぱり理解できず、的外れな態度になるのですが、結局は、自分と全く関係のないことだと信じて疑うことがない。妻や娘は夫や父をそのまま受け入れるしかない。

小杉勇のきょとーんとした表情も素晴らしく、「あ!これだ!」と、ものすごく腑に落ちたのです。つまるところ、理解したくないこと、興味のないことは、すべてひとごと。この感覚にちょっとした変化が起きない限り、「対岸の火事が収まるのを待つのが身過ぎ世過ぎ」みたいな、気づきのないことからくる残念な結果は続きますね、あらゆる場面で。

この、「あ!」と発見できる感じ、つまり、映画の醍醐味は、自分の知らない視点や世界を知り、自分自身が少し豊かになれることにあるのだと思います。

話は元に戻りますが、PFFの根底のテーマ「映画の新しい才能の発見」には、多様な視点の作品が期待されますし、選考する側もできるだけ多様な方がいい。もちろん、根底に、新人への興味、映画の知識、体験は必要ですが。

そして、「発見」とは「見落とさない、見逃さない」ことが至上命題ですので、とにかく、その命題に向けて試行錯誤です。

3) PFF最終審査員5人のうち女性が1人ですが、なぜ男女比を同数にしないのですか?

 女性2名にお願いできた年もありますが、実は毎年、女性の最終審査員の依頼にとても苦労しています。

PFFアワードの審査では、日本語が理解できることが必須条件。特に日本では、第一線で活躍する女性のクリエイターがとても少なく、そのかたがたに審査員含め、仕事の依頼が集中している状況です。毎年、この現実を学びます。

私自身、南米、北欧、南欧、米国、東アジア、東南アジアなど様々な国の映画祭で審査員をしてきましたが、たいてい女性審査員は私1人だけでした。身軽に、いつでもどこでも移動できる環境を獲得することも、女性にとっては世界中でハードルが高いのか、とも想像します。

4) PFFアワードの入選作品や監督ついて、時代の変化は感じますか?

女性と普通に話をする男性たち、対等な男女の人間関係を描く作品が増えていると感じる一方、DVなどの暴力を扱う作品も増えています。

最近の課題は、応募用紙の記入事項です。

これまでPFFアワードでは、応募や入選作の監督の男女比を公表してきました。ですが多様な才能の輩出を目指すPFFなのに、性別欄には男・女しかないのはおかしい。そもそも映画祭に作品を応募するにあたり、なぜ性別を記入する必要があるのか、の検討を始めまして、今年は男女比の公表をやめ、来年からは性別欄を設けることをやめることにしました。

■PFF2020入選作品/応募作品データ
<入選作品データ>
【入選数】17本
【年齢】平均:25.6歳 最年少:18歳 最年長:42歳
【男女比】男性(12本):70.6% 女性(5本):29.4%
【上映時間】平均:52.9分 最短:8分 最長:131分
<応募全体データ>
【応募数】480本
【年齢】平均:30.4歳 最年少:16歳 最年長:69歳
【男女比】男性(359本):74.8% 女性(121本):25.2%
【上映時間】平均:38.2分 最短:1分 最長:176分

5)JFPに期待すること

JFPでは、プロジェクトの第一歩として、劇場公開された日本映画の監督や脚本家などの男女比を調べました。今後は調査領域を広げ、そのジェンダーの偏りの背景にある過酷な労働環境の問題などへの議論のたたき台になればと思っています。

そもそも映画業界や映画を扱うアカデミズムで、こういう調査がなかったこと自体が驚きですね。

JFPの調査の最終的な目標は、映画の制作にかかわる人たちの環境改革ですよね。そのためには、「映画」を生み育てる、その環境をつくる人たちのすべて、の調査ができると、もっともっといろんなことが見えてきそうですね。

映画を見せる仕事、劇場や配給や宣伝。その映画を製作する仕事、制作会社の人やフリーランスの技術者の皆さん、俳優の事務所など。映画を研究する人たち、ここには映画を教える大学の教員や学生、毎年たくさん出版される映画の本の著者、映画批評家、なども含まれましょうか。こういった、映画をとりまく様々な人たちについて調べると、何かがはっきり見えてきそうですね。

私は「日本で暮らす人たちの生活にゆとりができて、映画をゆっくりみるような時間ができて、映画をつくる人たちに敬意を払えるような豊かな暮らしを手に入れるにはどうすればいいのか」とずっと考えてきました。ですが、悲しいかな、今の日本は逆の方向を進んでいるとしか思えず、JFPの調査数字がみえてくると、変化に繋がるとおもいます。

広く業界を横断するプロジェクトチームが組めるといいですね。

(聞き手・伊藤恵里奈)


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