神の社会実験・第11章

ここまで話すと院長先生は、自分のティーカップに残っていた冷め切ったハーブティーを上品に飲みきった。悪魔でも喉が渇くのかな、と僕は思った。

「さて、ここまではご理解いただけましたでしょうか。」

僕ら一家は、神妙に頷いた。

「それでは、本題に入る前にハーブティーのおかわりは如何ですか?」

なんと、これは全て前置きだったのである。僕らはげんなりしたが、一様にいらないと答えた。なにしろ僕は勿論、きっと父と母も、精神的に疲れ切っていて早く帰りたい一心だったのだ。こんなにも、あの堕落的な文明の最果ての様な国に帰りたいと思う日が来るとは、夢にも思っていなかった。そんな僕らを見渡して、院長先生は優しく微笑んだ。

「ご安心ください、もうすぐ終わります。それでは続けましょう。結果的に言うと、このままでは人類はお金のために確実に滅び、神はそれに干渉するおつもりはございません。人類と言う種が滅びることについては、神は何とも思っていらっしゃいません。神にとっては宇宙全体が遊び場であり、これまでも数えきれないほどの素晴らしい星や生き物の種が消えていくのを見守っておいでですので。しかしながら、人類の信仰と言えるほどまでのお金への信頼には興味がおありです。もし、俄かにお金と言うシステムが無くなったら、人間はどうするのでしょう。それに代わるシステムを与えたとしたら、素直にそれに従えるのでしょうか。それとも、また徐々にお金に代わるシステムを作り上げ、自らを自滅に追い込んで行くのでしょうか。それに、お金の高騰と伴った地位や名誉の高騰はどうなるのでしょう。皆がそれぞれ自分の才能を発揮でき、それに平等に評価や対価を与えられるようになり、他人の分け前を略奪して私腹を肥やしたり牛耳ったりすることができなくなったら、人間の社会はどうなるのでしょうか。神は、その好奇心を満たすべく、人類が滅亡してしまう前にある実験を試みることになさりました。それが、この島です。」

院長先生は、皆がちゃんと注意を払って聞いているかどうかを確かめるように、一息おいて僕らを見渡した。

「私は息子さんをここに置いていくように要求した時、悪いようにしないと言いましたね。それは、こういう事です。つまり、息子さんがこの島に残るということは、神の実験に参加して前に述べた疑問の答えを出す手伝いをすると同時に、確実に滅びる世界から抜け出し、新たな可能性のある社会の一部になるチャンスでもあるのです。如何ですか。」

しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのは父だった。

「仰せになりました事情は、大体理解いたしました。しかし、もしそれが本当だったとしても、人類が滅びるのは、まだ大分先の事だと思われますが。その、息子の代でも起こるかどうか定かでない、随分先の未来を危惧して、彼の将来を神の実験に捧げるのは、申し訳ありませんが父親として気が進みません。」

学者のくせに随分はっきりと物を言うから、僕は父が提案に反対してくれて安堵する反面、冷や冷やさせられた。これだから、いつも変な所に飛ばされるんだよ!と内心突っ込む。しかし、院長先生はいら立ちの欠片も見せず、余裕に微笑んで歌うように続けた。

「ごもっともです。証拠もないのに、こんな話を俄かに鵜呑みにする方がおかしいですものね。でも人類が何時、或いは実際に破滅するかどうかは別として、世界のあちこちを見てこられたあなた方なら、ご存知でしょう。金稼ぎを目的とする今の人間の世界には、沢山の無駄と犠牲がつきものです。原価を安く、売り上げを高く。そんな無理をするために、粗悪な労働環境で社会的弱者を駆使し、大量生産して儲けるためにはどんな手段でも使う。その結果、遺伝子操作されたり、薬やホルモンをじゃんじゃん与えられたりする家畜や作物は異常な速さで増え、成長し、その副作用やぎゅうぎゅう詰めの状態で育てられ病気になると、もっと強い薬を与えられる。異常な密度で飼育される生き物達の大量な排泄物は、大気を汚染し、土を汚し、水を汚す。多くの国では人権なども無視され、動物製品の生産の場合、その生き地獄を目の当たりにしながら、苦しむ生き物の世話をしたり屠殺したりする人が、不衛生や精神的苦痛で病気になったり、コスト制限で安全整備の管理が省かれたために怪我をすれば首にされる。そして、そんな酷い行いに対して抗議する者が出れば色々な職種の人を雇って脅す。

衣類など消耗品は品質を落とし、流行を短期にし、頻繁に買い替えるようにする。環境保全・安全管理などの規制の厳しくない国で森林を伐採しまくり、有毒物質を使いまくり、垂れ流しまくり、工場で働く労働者たちは、最悪の場合子供達や囚人であり、生活の足しにもならないような低い賃金で無茶苦茶なノルマを課せられ、達せないと罰せられる。挙句、そんな現代的奴隷制度を駆使してまで安く作った有害な大量生産物は、当然大量に売れ残り、大量のごみとなり、また環境汚染に荷担する。しかし、低・中流階級の金蔓たちには、何も考えずに食べ過ぎたり無駄遣いをしたりしてもらうために、その様な理不尽な事実は隠蔽される。そして、その事実を知っていたとしても、低価格のプチ贅沢をしなければやって行けない様な毎日を強いる為に、階級ピラミッドの先っぽ以外の消費者にとって更にストレスの多い生活環境や職場環境になるよう、政策を推し進める。息子さんを連れてお帰りになる世界では、そんなシステムに加担せざるを得ない様にできています。そして、その付けは、必ず回ってきます。」

涼しげな声でそこまで言うと、先生はクールな一瞥を投げかけた。

「そして、もう一つ確かに言えることは、お金に牛耳られているあなた方の世界では、どんなに優れた人でも<売れなければ>成功できません。その為に、多くの人々が自分の得意とする分野で活躍できず、生活のために、やむを得ずしたくもない仕事を強いられ、もし幸運にも己の才能を発揮できる職業を生業にできたとしても、儲けを常に気にしなければならなくなり、自信を無くして落ち込んだりストレスで体を壊したりしています。しかも、誇りを持って成し遂げたまっとうな仕事の成果を、卑劣な金儲けのために悪用されたりもします。本当に人の役に立つ仕事をしようとしても、その仕事が金持ちの儲けを脅かすようなら、邪魔されるどころか、暗殺されてしまうかもしれません。

一方、お金さえあれば、どんな地位も手に入る。才能のない金持ちのぼんぼんがチヤホヤされ、コネで役職に就く。金持ちのご機嫌を取ってうまく世渡りできる者、仲間を裏切り、足蹴にして高い地位に就く者、金持ちが更に儲かるようにトレンドを操作したり弱者を欺いたりする者どもが、ぼろ儲けをして面白おかしく生きている。法律だって、金持ちを守るようにできている。どれだけ貧困層や社会的地位を持たない人々が、追い詰められたために罪を犯した事を証明できても、法はその人達を刑務所に送るか、罰金を架してより叩きのめすだけ。その人達を追い詰めた状況や人に責任を問う事は、ほぼありません。その裏で、金持ちは自分たちの犯した罪を、金の力で幾らでも揉み消している。そして、この状況は、これからさらにエスカレートするでしょう。沢山の素晴らしい才能や可能性を持つ若者たちが、売れなければ凡人と評価され、まっとうな疑問を持てば叩かれ、人生に疑問を抱きながら消えていく事でしょう。

お父様は、息子さんの将来がご心配の様ですが、本当に心からそう思われているのなら、こんなにも腐りきった世界には連れて帰られるべきではないと思われますが。」

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