元気の出るチョコレート
誰だろう。ネット通販は頼んでいないし、記念日でもないし。
ごく普通の金曜日、ポストに入っていた不在票に首をひねる。隅の方に小さく印字された送り主は、30年近く前に知り合った元同僚だった。
再配達してもらった荷物は梱包材で丁寧に包まれたクール便。包装紙を開けると、とてもかわいらしい缶が出てきて思わずふふっ、と声を出してしまった。缶の中身はリスやてんとう虫をはじめ、ハート、キューブ、コインなどの形をしたチョコのアソート。美しいホイルに包まれて高級感もたっぷりだ。
「突然かわいいチョコが目に飛び込んできたから早いけどお誕生日プレゼントに」
…って。ねぇまだ1ヶ月も先なんだけど? いつも彼女は感情に忠実だ。かくいう私も去年、どうしても贈りたい品があって、誕生日から1ヶ月近くも待たせたから おあいこではあるけれど。心に共通項の多い彼女からのメッセージに、もう一度笑ってしまった。
カファレルのチョコレートなんて自分用には絶対買えないよ。誕生日、思い出してくれてありがとう。
彼女の記憶に自分が残っていたことも嬉しくて、食べてしまう前に1枚写真を撮った。
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1月の終わりは少し苦手だ。かけがえのない人たちが旅立ってしまった季節だから。大好きな父と大切な友人の命日は数日違い。立春間近の空が晴れ渡るほどに、どうしたって涙の記憶と重なってしまう。2人とも真っ青な空が似合う素敵な男性だった。
ずいぶん昔のことだけれど、突然 親友が亡くなってしまったという人に接したことがある。勤め先の事務の子で、その日は朝からずっと机に突っ伏して泣いていた。かける言葉が見つからず、コンビニのチョコをそっと机に置かせてもらった。”元気の出るチョコレートです ”と付箋を貼って。
逆に気を遣わせてしまったのかもしれないけれど、数時間後の彼女はいつものように笑っていた。おかげで元気が出たと言ってもらえて安心したことを思い出す。確か私は「ずっと忘れずにいてあげたらいいんだと思う」と伝えたのではなかったか。今思えば、本当に何もわかっていなかった。
時間が経てば感じ方が変化するのは当然だ。過ぎゆく日々の中、ずっと泣いているわけでも、その人のことだけを考えているわけでもない。思い出さない時間も増えていく。けれど、それは痛みの形が変化しただけで、単純に薄れたのとは違う。だって、やっぱり悲しいのだ。
父が亡くなって5年。今でも急に込み上げてくる思いに、悲しみは癒えても消えないと気付く。相手が大切であればあるほど、変化しながら心の奥にしっかりと刻まれるのかもしれない。
ずっと忘れずに、なんて言わなくても彼女は親友のことを忘れたりしなかったのに。私がこれからも2人を忘れないのと同じように。
あのとき、どんな言葉をかけたらよかったのだろう。そんなことを考えながら口に入れたチョコレートは、ほろっと溶けて、やさしい甘さがゆっくり広がっていった。唐突に届いたと思っていたギフトだけれど、このタイミングにも意味があったのかもしれない。
父の命日を前に、元気をチャージしている夜。
晴れオトコだから明日はきっといいお天気になるなぁと思いながら、もう一粒 口に運んだ。