いつもその日の精一杯で
午後1時、スマホが鳴った。
緊急事態宣言は解除されたものの、小学校はまだ短縮日課。下校までの貴重な時間を食料品の買い出しに使ってしまった私は、腹ペコで帰ってきた息子のお昼を大急ぎで用意していた。ラーメン、素麺、焼きそば、ざるそば、うどんにパスタ。麺、麺、麺のルーチンに時々チャーハンが登場する近頃の昼ごはん。その日は焼きそばのタイミングで、私は残り数センチのキャベツを切り終えてからスマホを手に取った。炒め始める前でよかったと思いながら。
知らない番号だ。誰だろう。
「もしもし、〇〇事業部のN崎です。わかりますか?前に一度お仕事をご一緒した…」
電話の相手は、フリーランスの私が席を置かせてもらっている元職場の関係者。自粛前の事務所でよく話題に上っていた取引先の男性だった。一緒に仕事をしたといっても10年以上前に打ち合わせで同席しただけだから、普通なら直接電話がかかってくるはずはない。きっと彼の飲み仲間でもある私の同僚たちが口を利いてくれたのだ。リモートワークになってから依頼の減っている私に仕事を回すようにと。
「わかります。N崎タカシさんですよね。お噂はかねがね」
「あー、えーっと、タダシです。N崎タダシ。似てますけどね」
名前を間違えるなんて大失態。慌てて謝る私に、タダシさんは笑いながら話を続けた。ちょっとお願いしたい案件があって。今、大丈夫ですか?
ありがたい。やっぱり仕事の話だ。
息子は指でOKを作っている。
ありがとうと声に出さずに伝えてキッチンを離れた。
こんな説明で伝わりますか?と言いながら、タダシさんは今回のお題について話を進めていった。顧客から自社商品の訴求表現を変えたいとオーダーが入ったこと、それに応えるため、新しいブランドイメージを周知させるコピーを提案したいこと、そのコピーは、今の消費マインドに訴えかけるようなインパクトのある言葉にしたいこと。
以前、関わったことのある企業の商品とはいえ、そんな大きな案件、私なんかでいいのかなと思いながら聞いていると、どうやらもう一社、別の組織に依頼済みのようだ。それも絶対外さないような無難な案を。なるほど。アンパイがあるから、あなたは好き勝手に考えていいよ、というわけか。そういうことなら、尚更ありがたい。
今回の商品は食品で、その性質上、私の主婦歴はそれなりに役に立ちそうだった。ブランクだと思っていた時間が、少しずつ社会に戻ろうとする自分を押し上げてくれる。現場を離れて難しい横文字は分からなくなってしまったけれど、代わりに得たものも確かにあったのだ。自分のことを後回しにして毎日バタバタと動き続けているお母さんの気持ち、あったらいいなと日々思っているもの、使えるお金と優先順位。ママ友との情報交換が仕事に結びつくのだから私はとても恵まれている。
だいたいの内容を把握したところで納期を聞くと、タダシさんは言いにくそうに、あさって先方に提出するんです、とだけ言って黙った。どんなコピーが上がってくるか不安だし、社内で検討する時間も欲しい、その辺も察してくれと沈黙で語っている。私はちょっと考えるふりをしたあと、明日の午前中いっぱい時間をいただきますねと返事をした。
「それと今回予算があまりなくて…」
最後にタダシさんはそう切り出した。それはそうだろう。予算の大半は、もう一案を考えている別の大きな組織に支払うはずだから。それにこのセリフは、会社にいる頃から聞かされていた常套句だ。
「×××円でお願いしたいんです。その範囲内でなんとか」
「大丈夫ですよ、私、自分の仕事に値段がつけられないので」
笑いながらそう言うと、タダシさんは安心したようにもう一度繰り返した。
「×××円で書ける分だけお願いします」
ーーー
小学生の頃、石焼き芋の軽トラックが家の近くを走っていた。熱した小石の中にサツマイモを埋めて、移動中に間接加熱で焼きあげる焼き芋屋さん。「いしやーきいもー やきたてー」という独特の節回しを真似て、学校でよく男の子たちが歌っていた。
まだ小さいうちは、焼き芋屋さんごっこもした。軽トラックの代わりとして使うのは、誰かの妹の三輪車。ひっくり返してペダル部分を手でくるくる回す。なぜそんなことをしたのか今でも謎だけれど、もしかすると大きな釜の中で小石と一緒にお芋をかき回している動作のつもりだったのかもしれない。焼き芋屋さん役の子はおじさんの口調を真似て、大きいのと小さいのどっちがいい?なんて質問をし、お客さん役の子は、そうね小さい方にするわとか、中くらいのはないの?とか、母親の声真似で答える。あの頃は、ちびまる子ちゃんみたいな世界が私の周りにもあった。
名物の物売り声が聞こえてくると、多くの家では「どうする?」と一瞬迷う。もちろん我が家も同じ。焼き立てのお芋はホクホクでおいしいけれどちょっぴり高いから、毎回買うことはできない。いや、買っちゃいけない。のだけれど…
「いしやーきいもー やき」不自然な箇所で声が止まる。きっと誰かがトラックを止めたんだ。「はやくこないと いっちゃうよー」の声が追い風になる。誘惑に負けて私と母が道に出ると、近所のおばさんたちはもうトラックを囲んでいた。
おじさんのお芋は日によって大きさにバラツキがあったから、1本当たりの値段が変わること自体は子供でもなんとなく理解できた。でも3本で700円ねという日のあとに、今日は500円でいいやと4本渡されたりすると、ラッキーと喜べずに、なんでなんで?と考えてしまった。おまけにそのでたらめ具合は、買いに行く回数が増えるほどにエスカレートしていく。私の頭はハテナでいっぱいになった。
高学年になる頃には、一人でおじさんのところまで行けるようになっていた。恥ずかしいからトラックは止められなかったけれど、いつも先客がいたから安心して順番を待てばよかった。知恵のついた私は頼み方も変えた。どうせ1本いくらかわからないのだから使える金額を先に言ってしまえばいい。そうすればもう、お金が足りなかったらどうしようなんて不安に思わなくてすむ。予想より本数が少なかったら妹と分けて食べよう。でも、もしかしたらお母さんが半分でいいって言うかもしれないな。それか、お父さんの分は残さなくてもいいよってことになるかも。毎回そんなことを考えながら、私は700円を握りしめて列に並び、いつも小さな声でおじさんに伝えた。
「700円で買える分だけお願いします」
ーーー
あの日、おじさんに会えたのは奇跡だったのかもしれない。
中学生になった私は部活が忙しくて焼き芋屋さんに行くこともなくなっていた。今思えば、焼き芋よりアイスを好きになってしまったというのが本当のところ。だから夕暮れの通学路で空き地の横に見覚えのある提灯が見えた時、懐かしさよりも気まずさで心がいっぱいになってしまった。なるべくトラックを見ないように。私はまっすぐ前を向いたまま、歩くスピードをあげた。
「久しぶりだね。今、帰り?」
トラックを追い越した瞬間、背中から声がかかった。友達の前で少し恥ずかしかったけれど、うんと答えた。そのまま通り過ぎようとするとおじさんは、ちょっと待ってと言いながら釜の中からホカホカのお芋を二本探り当て、私たちに差し出した。
「あっ、でも今お金持ってないから」
「売れ残っちゃったからあげるよ。最近食べてなかったでしょ。ほら、お友達も食べてみて。甘くておいしいよ」
買い食いは禁止なのに見つかったらどうしよう。そう思いながらも焼けたお芋のいい匂いとおじさんの笑顔につられて、結局ごちそうになることにした。ほんのり甘いお芋でお腹も心も満たされたら、思い出をギュッと詰め込んでいた袋の口が少しだけゆるんだ気がした。ずっと気になっていたことも今なら言えるかもしれない。
「おじさんさっ…」
責めるような声が出た。自分の言葉に動揺してしまった私におじさんは、優しい目で続きを促してくれた。
「買うたびにお芋の値段、違ったよね。私、困ってたんだから。まぁ、大きさがバラバラだから多少はしょうがないと思ってたけど。でもさ、同じ700円なのに3本の日も6本の日もあって、あれは…もうおまけのレベルじゃないよね」
おじさんは一瞬驚いた顔をして、そのあと笑いながらごめんと言った。そして私としっかり目を合わせてこう続けた。
「おじさんはね、自分の焼いた芋は結構いい線いってると思ってるんだ。おいしく食べてもらうために芋選びからこだわってるからね。火の入れ方もちゃんと考えてるんだよ。みんなの所に着く頃に食べ頃になるようにって。お嬢ちゃんはおとなしかったけどいつも買いに来てくれてたからさ、きっと食べながら喜んでくれてるだろうなと思ってたよ。そういうのを想像するのも嬉しくてね。だから、いつもその日の自分ができる精一杯を渡してたんだよ。いい線いってる芋が多い日はついたくさん渡しちゃったけど、そうか、困らせてたのか」
そう言っておじさんはまた笑った。
とても嬉しそうで、誇らしげだった。
ーーー
「時間がない中、ありがとうございます。
コピー、バッチリです。このまま提案します!」
よかった。タダシさんは喜んでくれたようだ。
私は結局、切り口を変えた3パターンのコピー案と、自分が手を離したあとに制作意図がうやむやにならないようにとの思いから趣意書を添えてメールを送った。その中で、文字を加工した方がわかりやすいものは簡単に処理をし、色のイメージがあるものには色をつけておいた。もし必要であれば、その先は優秀なデザイナーが引き継いで素敵に仕上げてくれるだろう。
と、サラッと書いたけれど。
本当は大変だった。キャベツの残りを切り、焼きそばにソースを加えて炒めながら、自分がMacの前に座れる時間を計算した。明日も息子は学校だ。夕飯もお風呂も急がなくてはいけない。ゲームを切り上げて早く寝るようにと笑顔で言えるだろうか。叱ってはいけない。ケンカをしている時間なんて今日はないんだから。息子が宿題を始めたら商品特長を徹底的に調べよう。口コミも確認すること。明日の午前中は母の病院の送迎があるからそれまでに書類をカタチにして、母を送ったあと一度戻って最終チェックとメール作り。今晩中にコピーを絞り込むところまでできれば…よし、やれる!
自分の仕事に値段がつけられないと言ったのは本音だ。わかっている。フリーでやっている人間がそんなことを言うのは甘すぎると同じ立場の人からはお叱りを受けるだろう。今はたまたま周りの支えがあるから働けているだけ。どんな仕事にだって、予算と時間に限りがあるのだから、もう少しうまくやれるようにならなくてはいけないと。
それでも、と思う。
やっぱり私には×××円分のコピーなんて無理だ。いつも、何本も何本も書いて、言葉を足して削って着地点を探していくのだから。捨てていく数十本があるから大事な1本にたどり着く。
書ける分だけなんて言わないで欲しい。
×××円分のコピーなんて言わないで欲しい。
私はデザイナー見習いから始めてやっと文字の仕事がもらえるようになった変わり種だ。デザイナーと呼ぶにもコピーライターと呼ぶにも中途半端なクリエーター。残念ながら同じような人を知らないから、やり方が正しいかどうかもわからない。
でも、私はこれでいい。
私にはこれがちょうどいい、そう思っている。
いつもその日の自分ができる精一杯を渡してたんだよ
誇らしげな笑顔の意味が、今ならハッキリわかる。
おじさん、私もいつか言えるようになるからね。
「私のコピーは結構いい線いってると思ってるんだ」って。
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※昨年、『#磨け感情解像度』の企画に参加させていただいたnoteです。
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