大学を中退した話
38歳にもなって今更ながら後悔している話。
大学を出ていれば…と思うこと数知れず。
その一部始終。
話は、小学5年生までにさかのぼる。どうやって大学に入って、どのようにやめていったか。
当時、習い事として、空手と習字をしていた。一応空手は小学4年生の時に県内一位を取って2級(茶帯)になってこれから段取りに挑戦するところだったし、習字は4段を取って大人になって字がきれいなのはアドバンテージになっていると思う。
でも、なにかやる意味を探せずにいた。今思うと、親の選んでくれたこれらは、健康な体作りときれいな字に大いに役に立った。選択のセンスおおありでした。習わせてくれてありがとう。そんな11歳の時、
「塾に行きたいんだけど。」
自分の口から始めて出た言葉だった。
もしかしたら、友達が行っている、というのをどこかで聞いたかもしれないが、詳細は分からない。親友のコウスケくんが私立中学に行ったことから考えると、彼から聞いたのかもしれない。
そして、学のなかった僕は市内の文友学園という塾に通いだす。特にこだわりはなかった。面談とIQテストを受けることとなる。そこで、衝撃的な結果が出た。
「お子さんのIQは高いです。東大京大コースに入れますがどうされますか?」
なるほど、僕は頭がいいのか。なにか正体のわからないうれしさを感じたのを覚えている。
その、RDKクラスというのはまさに、あたまのいい集団だった。そう、それはまるで、学校の授業がはるか後ろを走っているかのように。
そのクラスの中でも、1,2を争うくらいになっていた。一度、全国模試で全国6位を取ったことがあった。偏差値は78だった。
しかし、「塾に行くこと」が目的だった僕は、「いい大学にエスカレートで入れる中学に行くこと」に何の感情も持ち合わせてなかったのだ。地元の中学に入ることになる。
僕の体験談noteは基本的に「後悔」が裏テーマであるのだけども、この頭の良かった時に、頭のいい学校に入らなかったことにそれほど執着はない。
自分のレベルではきっとついていけなかったかもしれない、という不安はあるが、単純に人生設計の習慣がなかったせいでもある。
いい学校を出て、いい会社に就職をして、いい給料をもらう。
その当たり前を疑問を持っていた。
勉強をすることを、いい学校に入るという手段という意味でとらえられなくて、ただ単に「教養を得る」ことに喜びを感じるのだ。それはのちのちに大学を中退することに少しつながっていると今はわかる。
そうして、中学時代も塾を継続していき2年生の時の志望校を決めるときにも、となりにたまたま座っていたカズキ君の志望校をそのまま書くことになる。それは隣りの県のエスカレートの高校。偏差値68の進学校だ。内申点を見ない一発勝負なのは好都合だった。(内申点あんまりよくなかったんだよね~)
ここで注釈なんだけど、僕の県(京都)は公立の高校の選択肢が狭い。地元の公立の入学に対して、担任の先生はむずかしいと言っていた。内申点が圧倒的に足りなかったんだ。地元の高校に行けないやつが進学校しか選択肢しかないのは今思えばスゴイ。しかも専願。落ちたらどうするつもりだったんだい?ボーイ
無事、高校に合格し大阪まで電車通勤する毎日の始まりである。
男子校だった。ちなみに妻も女子高だ。お互い、共学に行っといたらよかったね。とお酒の席で愚痴りあうのは内緒だ。
高校での生活で面白そうな話題は、いくつかある。
それは、一年の時に野球部の勧誘を受けた時。一応中学ではレギュラーで自分でもうまかったとおもうけど、高校野球はしごきがきつめだと思ってて、ひざが悪いことも含めて選択肢になかった。
今でも思うターニングポイント。
あの時、体のケアして練習に精を出していればもしかしたら、というのはある。なんとなんと、僕が高2の時に春のセンバツに出場して、決勝戦まで行ったのだ。無限に広がる世界線のうちで僕がプロ野球選手になる・・・。という世界線はもしかしたら・・・。ないのだけれども。
頑張った人にだけに与えられる神聖な場所だ。困難に対して逃げ出す癖がついた時でもあると思う。しっかりと本当にやりたいことをその当時の頭でしっかり考えることが大事だったんだな。大好きな野球をやるために。
こうして、僕は帰宅部のエースになる。
学生生活ではちゃんと自分のやりたい部活動に邁進するのが良いんだなとおもった。
次は、いじめかな。
1年の時に中学エスカレート組の番長的なやつとトラブルになってしまって、いやがらせされていた。
最初の取っ組み合いの時に、膝蹴りを何発か食らう(こちらからは手出しなし)
ダメージなし!空手ってすごい‼まぁ、一応相手たてるために痛そうにしてあげたけど。(謎の配慮)
でも顔が怖い奴だったから、今だにそいつの苗字が目に入ったらビビってしまうけど。これだけは治らない。高校の時の悪友のS君がそいつと仲良かったから一緒にいるときはちびりそうだったのは内緒だ。
いやがらせの内容なんだけど、あんまり覚えてないけど、教室の入り口から僕の机まで導線にないのにわざわざ机の上通られたり、通りすがりに肩ぶつけられたりいろんな事されてたと思う。教室の人間の何割かが中学エスカレート組の番長の配下だったから、交流のない人間ににらみつけられたり。
ま、なんとも思わなかったから無視してたらいつの間にか終わってたけど。
この年は一回も遅刻欠席なかったから、当時からキモは座ってたのかな?
だから、もし今いじめ受けてる人がいたら冷静に対処してほしい。
あいつらはいじめる対象のことを選んでいじめてるわけではなくて、たまたま目についた優しい人間を、自分の中で対処できない脳内の問題をぶつけてるカスみたいなだけだから。スーパーマッスルなやつにはビビってても出さないし、ヤバそうなめつきしてるやつにも手を出さないし。
対処方法はいくらでもある。それ対処できたらこの世界で一番貴い「他人に対して優しくできる人」になれる。
ぼくは、この体験をしてよかったと思う。こんな陽キャラな僕でも場合によってはいじめられるってことがわかったし、いやがらせされるとこんな気持ちになるんだなということもわかった。
では、どうやって克服したか。
支配するサイドに回ることだ。
過激な言葉で申し訳ないんだけど、これに尽きる。(この文節は是非いい意味でとらえてほしい)
大きなくくり、小さなくくり全ての”社会”においては、支配する側と支配される側が存在する。
労働を使役する人・労働を行う人みたいに。
いじめる側は、いい意味でも悪い意味でも支配しているのだ。
支配していると自分のものになったその社会を”自分のための社会”として認識しだす。そこで、「お前、おかしいよ」と止める人間がいなければ暴走していく弱くてカワイソウな人間なのだ。
支配する側にまわり、そして何もしない。
これでいい。
弱い人間は、支配したあとに攻撃を繰り出すが節操のある人間はそれをしない。カエサルになってはダメだ。
僕の話に戻るけど、2年になった時に理系文系を分けるために(ここで僕の数学勉強の機会がなくなる。残念なことだ。)クラスのメンバーが大半変わることになった。
これが転機だった。
1年の時の状況を知るものは少なく、地元の悪友のS君(支配するもの側)とひょんなことから友達になったおかげで、陽キャラに戻ることができた。
これを僕は勝手に「高2事変」と呼んでいる。
高2の時に、あっこんなに笑っていいんやって、思い出す。S君には頭があがらない。停学ちょこちょこしてたけど。
そして、プライベートでもバイト(校則では禁止だよ♪)で大人と接点ができだす。そして、楽器をはじめる。音楽編はまた別で記すとしよう。
学校の授業も何とかついていき、運命の3年。
なんと、一年で僕をいじめていたメンバーがいっぱいいる!!
お礼をしなくちゃ!
そうはさすがに思わなかったけど。(学校以外が楽しかったから)
一応、みんな僕が陽キャラで再会したものだから、何も知らない感じで近づいてくるんだ。笑えるよね。1年の時ずーっと授業中に消しゴムのカスを投げてきたやつらがさ。
「へぇ、Y君、ラルク聞くんだ。WOWOWでやってた復活ライブのビデオあるけど見る?」
「ほんと?みたいみたい!でもI君?」
「なに?」
Iの肩にぐいっと腕を回す僕。
「1年の時、俺の事いじめてたよねぇ?ニタァ」
「あのときはごめん!仕方なかったんだ」
そう、仕方なかったのだ。僕をいじめなくては彼は次の標的になってしまうんだろう。彼なりの処世術なのだ。
「気にしてないからいいよぉ!ラルク楽しみ♪」
張本人たちは一緒にナンパに行くぐらい仲良くなったのに(内申ビビりながらだが)外野では時は進まない。
いじめを傍観したり、加担したりする人間は弱い人間だ。そうはなりたくないし、なるべきではない。何も生まれない。
支配するサイドにまわるには、どうすればいいかを観察する。そして、自己を高め所属する。もしくは作る。そして、何もしない。
これがポイント。
リア充グループっていう言葉を聞いて、マイナスイメージを持っている人は多いと思うけど、実は心のどこかで「ぼくなんて」って思っているのではないだろうか?入りたいのなら入る努力をすればいいし、入る必要がないのなら自分の範囲外の事象と割り切ってみる。
今、困難に遭っているのなら考えて、もがけばいい。
まるで、なにかの実用書のように語ってしまったが、体験を語ってみた。なにかほざいとるわぐらいに思ってくれていい。
そんなこんなで、大学に進むエスカレーターは進む。
一応授業にはついて行けていたが、通知簿は基本的に2か3.ひとつの1と2つの4。いわゆるできない人だ。
自分のレベルぎりぎりで自分を高める有用性を唱える人がいるが、僕はそう思わない。ついていくのが精いっぱいの毎日では、心の余裕は生まれない。これなら、自分のレベルよりも格下の世界で無双するほうが、自信もつくし視野も広げることができる。当時も今もそう思う。
高地トレーニングで能力を高めるのはわかるけど、、、その高地に住んでいる人は食うのにせいいっぱいじゃない?
進学率92%の内部進学のおかげで、無事賢い大学に入学することになる。親友のS君は落ちたけど。
何を目指して、大学に入るのかがわからないままの入学だった。頭の中にあるのは、キラキラしたキャンパスライフ。野球のサークルに入って、そこのマドンナマネージャーと付き合って・・・。(別でまとめるけど、これは達成した)
勉強のことなど眼中にない。むしろ、マイナスなイメージだ。だって、自分の興味あるジャンルなどを見越して入学してないからだ。中学の時のカズキ君の進路希望を真似して書いただけだからだ。そのカズキ君もまた中退して店を持っているのは何の因果か。
大学レベルの授業についていけるはずもないギリギリレベルでは大学に行くのにもおっくうになる。なぜ大学でいまさら体育?
大学に対して勝手に幻滅していた自分がいた。前の記事でも書いたとおり、僕は金銭感覚に問題がある。そんな僕が深夜バイトをするのなんて火を見るより明らか。
それに、初年度の履修科目の選定もこだわりを持てず、どうすればこの曜日は捨て曜日にできるかなとか、雑念の塊だった。
深夜バイト終わって、気が向いたら通学する。そんな怠惰な態度では必修科目も落とすのも必然。そうすると行く意味意義すらなくなる。1年で取った単位が8だった時、なぜか笑ってネタにしている自分がいた。
学費を払ってくれている親に申し訳なさがあったか?そのころのお前よ
そしてバンド活動に道がかすかに見えてきたことも重なり、目的のない休学になる。
最初、休学は1年にするつもりだった。それが2年続いて、4年次に「今更復学してもついていけないだろう」と退学を決意するのだけど、
「事務所に退学届けを出す」
この行為の重要性は最後まで分からずじまいだった。
自分の人生を決めかねるこの重大な事案を、まるで機種変するために携帯ショップいくような軽い気持ちでした当時の僕の襟首掴んで説法したい。
それくらい後悔している。
当時、母親は「それで後悔しないのかい?」といった。
「後悔しない」と、僕は言った。
後悔しているじゃないか。
いや、自分の道に邁進する人生なら後悔はしていないはずだ。
大学を中退しようが光っている人間は山ほどいるし、学歴が人間を決めないこともわかる。しかし、すくなくとも僕は後悔している。バンド活動と並行して卒業することもできただろう
社会人になって、大学名を聞かれて自慢げに大学名を出す自分にも腹が立つ。中退しているのに
いまさら、20年前のことを後悔しても遅いのだけど、いまだに夢に見る。
内容は、休学時にに取れなかった単位を無理と分かってても取ろうと頑張っている僕があらゆることをしてくらいついているものだ。そして、結末はいつも時間切れだ。
深層心理でやっぱり大学に対して後悔をしているんだなと、確認させられる。しかも3カ月に一回のペースで。
38歳になった今は、あらゆることに対してアンテナを張り、本を読んで勉強している。人から何か聞かれたときにだいたいのことがわかり、自分の意見も言えるようになった。
だけどそれは、やっぱり大学時代の失われた時間に対する自分なりの罪滅ぼしなのかもしれない。
こうして何事もある程度までは器用に習得するのだけど、結果がみえてきそうなときに飽きてしまうその性格がどんどん醸造されていくのである。なにごとも今あることに面と向かって”継続していく姿勢”が大事なのだ。