「ひきこもり」の問題5 当事者の声を支援や政策に活かせる形。

15年前、
最初から思い浮かんでいたわけではありませんが、
1年経ったくらいの頃には既に、
次のような問題意識が浮かんでいた。

僕は当初より、
当事者同士が対話を行い、
その対話の成果を具体的な支援や政策に活かせる形をつくりたいと考えています、
と主張してきました。

しかし、
当事者会、家族会、
様々な立場の人たちが集まる会、
など、
様々な場所で、当事者達が話し合いを行い、
その成果を支援や政策に活かせる形を提案しましたが、
共感してくれたり、
協力して下さる方はいませんでした。

当事者の方はもちろんのこと、
特に公的機関がやっている居場所などでこの提案をすると、
公的機関の担当スタッフの方が否定的な反応をする場合が多くありました。

共感してくれたり協力してくれたりする人がいなかったり、
否定的な反応をする人が多いのは、
憤りの気持ちもありますが、
事実として受け止めています。

ところで、
どうして僕は、
「当事者同士が対話を行い、
その対話の成果を具体的な支援や政策に活かせる形をつくりたい」
と考えるようになったのか?

それは、
それが合理的なのと、
僕が対話が好きで、
自分たちのことを対話によって決めていく、
という考え方が好きだからです。

好きだから、
という理由はともかく、
どうして合理的だと思ったのか?

僕は約15年前、
初めて求職活動をした際に様々な就労支援機関を巡り、それらの機関での対応に疑問を持ったのきっかけで、
「ひきこもり」の問題に関心を持ちました。

そして、
その時の経験や問題意識を伝えていきたいと思い、ひきこもり関係の集まりに参加し始めました。

同時に、
ひきこもり関係の集まりに参加しても自分の問題意識に共感してもらったり、
問題だと感じている状況を改善するための協力を得たりといったことが難しかったことや、
やはり、
仕事をしたいという欲望に駆られていました。

そのため、
ひきこもり関係の集まりに参加してからも折に触れて、
就労支援機関に通っていました。

しかし当然ながら、
それらの就労支援機間で望むような支援を受けられることはありませんでした。

それだけでなく、
やはり僕にとっては不適切だと思える対応をされることがありました。

もちろん、
そのたびに憤りを感じ、
時には嫌な気持ちになって呆然としてしまいましたが、
それは当たり前なのかもしれません。

ひきこもり関係の集まりでは、
ひきこもりについての勉強や話し合いを行うことで理解が深まりますが、
その勉強や話し合いの蓄積は、
支援機関には活かされません。

そのため、
いくら、
ひきこもり関係の集まりで議論や対話を深めても、支援機関には何も蓄積されず、
対応は変わりません。

僕はその状況がとても不合理に思えました。

更に、
ひきこもり関係の集まりでも、
当事者の声が充分に尊重されているとは思えませんでした。

その例の1つが、
僕自身、
自分の経験や問題意識を伝えても、
自分の問題意識に共感してもらったり、
問題だと感じている状況を改善するための協力を得たりといったことが難しかったこと、
などです。

そこで、

「当事者同士が対話を行い、
その対話の成果を具体的な支援や政策に活かせる形をつくりたい」

と思うようになり、
主張するようになった次第です。

しかし冒頭でお伝えしたように、
共感してくれたり、
協力して下さる方はいませんでした。

思えば僕の場合、
「ひきこもり」の問題が語られる時、
支援機関での状況が伝えられていないことへの疑問も、
当事者同士の対話の成果を具体的な支援や政策に活かせる形をつくりたいという提案も、
人々の賛同を得るのが難しかった現実があります。

その現実も、
僕にとっては「ひきこもり」の問題です。

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