東海林直人のゴロテマ日本史◇古代14(乾漆像~紫式部)
※ 語呂合わせでテーマ史を記憶するので「ゴロテマ」です。
日本史試験では、暗記が大きなウェイトを占めています。事件・事項・人物・年代を覚えるのが第一歩。一問一答だけで、高校受験には足りるでしょう。しかし大学受験ともなれば、その知識の質を突いてきます。語句を流れの中において論述できるくらいになっていなければなりません。ここまできて漸く合格点をとれる準備が整ったことになります。
でもいざ本番になると、「江戸時代の~〇〇年から〇〇年の△△について述べよ」などで徳川将軍の順番に混乱が起きるでしょう。また「昭和〇〇年から〇〇年の……を述べよ」では歴代首相の就任順の記憶があやしくなることがあります。この些細なことが受験生の頭を悩ませます。「どういう順番だったかなあ!」 長文の問題文を読みすすめながら、頭が混乱してきます。まるで霧の中を歩いているようになることがあります。制限時間はどんどん経過します。これを曖昧にしたまま不安のなかで進めると論旨まで危うくなってきます。こういうパニックに陥りたくないですね。
じゃあもっと勉強しとくんだった? しかし「英語」も「数学」も時間がかかるのです。社会科にこれ以上の時間をかけられない、というジレンマに陥るでしょう。こういうとき確実な知識、たとえば「ゴロ」句で覚えていれば、事項の異同、順番などは迷わずoutputできます。
ゴロテマをやれば、問われたテーマに沿った語句・事項が自然に浮かんできます。そして、自分なりの考えで味付けをすればなんとか書けます。合格点にはギリギリとどくでしょう。日頃からゴロ句をたて糸に歴史を見る練習をするのです。自分なりの考えや感想を練習しておくとよいと思います。
※ S←A←B←C←Dは重要順ランクです
※ 「note」は下線を引けないので太字を代用します(以下同じ)
◇古代131.彫刻の技法の覚え方(5技法・年代順)◇B
[ゴロ]素質ないから/イチ本(いちぼん)は/止せ(よせ)
(塑像(そぞう)・乾漆像(かんしつぞう))(一木造(いちぼくつくり)・翻波(ほんば)式)(寄木(よせぎ)造)
[句意](お前は)素質がないからイチローの技法はこなせない、イチローの本は止めとけ、という句。
[point]
1.特徴ある技法は、天平が乾漆像・塑像、弘仁・貞観が一木造・翻波式、国風が寄木造。
[解説]
1.乾漆像は天平文化にはじまる技法で中国より伝わった。土で原形を作りその上に麻布を漆で固め、その後土を抜いて内部を空洞にして木枠を入れる脱乾漆(脱活乾漆)と、土と木で作った原形の上に麻布を漆で塗り固め木心を残す木芯乾漆の2つの技法がある。ほとんどの乾漆像は脱乾漆で、代表作は興福寺の十大弟子像・八部衆像など。わずかな木心乾漆の代表作としては、聖林寺(しょうりんじ)十一面観音像がある。
2.塑像は、天平文化の技法で、心木(しんぼく)に荒縄などを巻き付け、その上に荒土(あらつち)の粘土を盛り上げ形を作る。表面に仕上土(しあげつち)として白土(しらつち)をかぶせて細部を仕上げ、最後に彩色する。代表作の東大寺法華堂執金剛神像は力強い憤怒(ふんぬ)の表現に迫力があり、華麗な彩色も残っている。なお唐招提寺鑑真和上像(乾漆像)は塑像のように見えるため正誤問題に頻出するので注意してください。
3.一木造(いちぼくづくり、一木彫(いちぼくぼり))は、平安初期(弘仁・貞観文化)の木像で頭部と胴体が一本の木材で造られているもの。肉が厚いので深く彫れる特徴がある。平安中期以降の寄木造(よせぎづくり)に対する語。
4.翻波式とは、平安初期の木造彫刻の衣のしわの表現様式。角味の大波と丸味の小波とを交互に繰り返し、波が翻るように表現する。翻波式の代表作は、室生寺弥勒堂釈迦如来像。
5.寄木造は、平安中期以後(国風文化)の仏像彫刻法。2材以上の材を寄せ合わせ、多くの工人で部分を製作し、全体をまとめる技法。一木造に対する語。平安中期の仏師定朝(?~l057)は、寄木造の手法を駆使して道長の法成寺の仏像、平等院鳳凰堂阿弥陀如来像をつくった。彼は優美な和様を完成、定朝様と呼ばれる。
〈2018同志社大・全2/5:「
【設問i】下線部i(浄土教に関係した)建築や美術作品が数多くつくられたについて、宇治の平等院鳳風堂の阿弥陀如来坐像を、寄木造の手法を用いてつくったのは誰か。漢字で記せ。」
_________________
(答:設問i定朝)〉
〈2018関西学院大・文2/3:「
A・飛鳥・白鳳時代の仏像は、そのほとんどが金銅像か木像であったが、天平時代になると、③乾漆像、塑像などの技法が完成された。
問2.下線部③乾漆像の説明として正しいものを下記より選びなさい。
ア.乾いた布と湿らせた布を交互に重ね合わせた上に松ヤニを塗って固めたもの。
イ.木や粘土で作った原型の上に麻布を漆で塗り固めたもの。
ウ.漆の樹液を乾燥させて粘土状にし、型に肉付けしたもの。
エ.粘土で作った型に乾元大宝を鋳つぶして作った銅を流し込んだもの。
B 弘仁・貞観文化の仏像彫刻は、天台宗、真言宗の密教への傾倒を受けて、神秘的な造形を特徴とする。また⑧技法的にも様式的にも特徴的なものがみられた。
問7.下線部⑧に該当する仏像製作技法・様式の組み合わせとして正しいものを下記より選びなさい。
ア.寄木造・寄棟造
イ.一木造・寄棟造
ウ.寄木造・翻波式 エ.一木造・翻波式」
_________________
(答:問2イ、問7エ)〉
〈2018関西学院大・教育済国際社会神総合2/2:「
問3.次の文章a・bをよく読み、各々の正誤を判定し〇×で示せ(問題形式変更…東海林)。
a.奈良時代には、新しい技法による仏像が多くつくられた。東大寺の日光・月光菩薩像に代表される塑像は、木芯に粘土を塗り固めて作製されている。
b.国風文化の時代には、和歌がさかんになる一方、『竹取物語』や『伊勢物語』など、かな文字を用いた物語も登場するようになった。」
_________________
(答:a〇、b〇)〉
〈2018慶応大・文:「
(ニ)二十九日。天晴れたり。揚州は四十余寺あり。なかんずく過海し来たまえる( D )和上の本住は竜興寺なり。影像現在せり。法進僧都の本住は白塔〔寺〕なり。
(原文を一部修正)
問7.(D)の人物の乾漆像がおかれている寺院の名称を記しなさい。」
_________________
(答:唐招提寺 ※Dは鑑真)〉
〈2017早稲田大・商:「
一方、平安時代初期には、独特の芸術文化が花開いた。とくに注目されるのは仏教文化で、現存する建造物では、台風で被害にあったものの、修理・復元された[ ト ]の五重塔がある。また、仏像彫刻では、奈良時代の十二神将像でも著名な[ チ ]の薬師如来像があげられる。この時代の仏像彫刻は、神秘的な表現を持つ[ リ ]が特徴的である。
問G 空欄トに当てはまる寺院はどれか。
1室生寺 2醍醐寺 3東寺
4仁和寺 5金剛峰寺
問H 空欄チに当てはまる寺院はどれか。
1神護寺 2唐招提寺
3元興寺 4観心寺 5新薬師寺
問I 空欄リに当てはまる語句は何か。
1金銅像 2塑像 3一木造
4寄木造 5乾漆像」
_________________
(答:問G1、問H5、問I3)〉
〈2014立教大・法済異文化コミュ:「
東大寺の大仏は銅像の表面に鍍金を施した金銅像であるが、天平文化の時代には、( へ )や乾漆像の制作技法も発達した。( へ )は木を芯として粘土を塗り固めて造る像で、乾漆像は粘土などの原型の上に麻布を漆で幾重にも覆い固め、中の原型を抜き取って造る像である。」
_________________
(答:ヘ塑像)〉
〈2012明治大・政経:「
奈良時代には平城京を中心に貴族文化が栄え、遺唐使によって唐の文化の影響を強く受け、国際交流のなかで国際色豊かな文化として花開いた。この時代の彫刻には、それまでの金銅製や木製の仏像のほかに、(ウ)粘土で塗り固めた塑像や漆で塗り固めた乾漆像がつくられた。戒律を伝えるため、苦難を乗り越えて渡日した唐の高僧の[ 1 ]は、日本の仏教の発展に寄与した。
問5 下線部(ウ)について、塑像作品はどれか。A~Eからーつ選べ。
A興福寺八部衆像
B新薬師寺十二神将像
C聖林寺十―面観音像
D唐招提寺鑑真和上像
E東大寺法華堂不空羂索観音像」
_________________
(答:1鑑真、ウB〇 ※ACDEが著名な乾漆像なのでBが答としてのこる)〉
〈2011文教大・全学部:「
問7 下の史料は下線部(e)の唐僧に関する伝記であるが、この史料に描かれている「大和上」について述べた文として正しいものはどれか。次の中から一つ選べ。なお、史料は一部書き改めたところと省略したところがある。
時に大和上揚州大明寺にあり、衆僧のために律を講ず。栄叡・普照師大明寺に至り、大和上の足下に頂礼し、具に本意を述べて日く、「(中略)願はくは和上東遊して化を興せ」と。大和上答へて日く、「(中略)誰かこの遠請に応へ、日本国に向ひて法を伝ふる者あるや」と。(中略)和上日く、「(中略)諸人去かざれば、我すなわち去くのみ」と
1.彼が来日した時の天皇は聖武天皇であった。
2.大仏開眼会では開眼導師を務めた。
3.唐招提寺には、塑像の技法で製作された「和上像」が現存する。
4.東大寺に戒壇院を設立し、最初の本格的な授戒を行った。」
_________________
(答:4 ※1孝謙天皇の代、2開眼導師はインド出身の僧・菩提僊那が担当、3塑像のように見えるが乾漆像である)
◇古代132.古代の修史事業(6書年代順)◇B
[ゴロ]低級/天国に/危機
(帝紀(ていき)・旧辞(きゅうじ))→(天皇記・国記(こっき))→(古事記(こじき)・日本書紀(にほんしょき))
[句意]低級な天国に危機がきた、という句。ここでの「天国」は死後のアレではなく、「歩行者天国」「ブロードバンド天国」の天国。そういう何でもかんでもに名付けられた低級な天国に危機が来るという意味。なお「記紀」は生糸(=記糸)と覚えておけば間違えない。あるいはこのあと六国史が日本書紀→続日本紀……と続くことを思い出してもよい。この2組ずつ(帝紀・旧辞)→(天皇記・国記)→(古事記・日本書紀)では両端が「紀」であることも覚えておけば漢字の間違いは防げるだろう。
[point]
1.古代の修史事業で、『帝紀』『旧辞』、『天皇記』『国記』、『古事記』『日本書紀』の2書ずつ3組、計6書が編纂され、これに『続日本紀』が続く。
[解説]
1.『帝紀』『旧辞』は、欽明(509?~571?)朝頃成立か。両書とも、現在散逸して伝わらない。両書とも「記紀」編纂の原資料となったと伝わる。帝紀は、天皇の皇位継承を中心とする伝承・歴史を主内容としていたと推定される。また旧辞は、古代の神話・伝承をそれぞれ主内容としていたと推定される。
2.『天皇記』『国記』は、620年成立。厩戸皇子が蘇我馬子と共に編集。蘇我氏の滅亡と共に焼失したものと思われる。天皇記は、歴代天皇の系譜を記したものと言われる。国記は、国の歴史を記したものらしい。
3.『古事記』は、元明天皇の712年完成。稗田阿礼の誦習(じゅしゅう)した神代(じんだい)から推古天皇までの天皇系譜や皇室の伝承を太安万侶が筆録したもの。漢字の音訓を用いて日本語表記している。3巻。系図1巻は現存しない。
4.『日本書紀』は、元正天皇の720年完成。国家による最古の正史。編者は舎人親王(天武天皇の第3皇子)ら。神代から持統天皇に至る天皇中心の漢文による記述。『日本紀』ともいう。
〈2019同志社大・グロコミュ法2/8:「
問オ.8世紀初めに作成された歴史書である『古事記』『日本書紀』のもとになり、史部も作成にかかわったとされるものを何と呼ぶか。次のうちから1つ選べ。
1.帝紀・旧辞 2.神話・伝承
3.太占・盟神探湯
4.祈年祭・新嘗祭」
_________________
(答:問オ1)〉
〈2018学習院大・文2/9:「
蘇我氏の子孫は奈良時代には石川氏を名乗り、官人として活躍した。石川年足は藤原仲麻呂政権で要職を任され、紫微中台の次官にも就いている。仲麻呂の信任があつく政権を支えたが、762年に亡くなった。摂津国三島郡(現在の大阪府高槻市)に葬られ、⑥金銅製の墓誌が見つかっている。
問6 下線部⑥に関して、奈良時代には、貴族の火葬が普及し、一部の火葬墓からは金属製の墓誌が見つかっている。1979年に奈良市の郊外で発見された火葬墓からは、『古事記』の筆録にあたった人物の墓誌が見つかった。『古事記』の筆録にあたった人物の人名を記しなさい。」
_________________
(答:問6太安万侶)〉
〈2017中央大・文:「
問2.下線部①について、天武天皇が「帝紀」「旧辞」の内容をよみならわせた人物名を記しなさい。」
_________________
(答:問2稗田阿礼)〉
〈2018早稲田大・法:「
天智天皇が死去すると、大海人皇子と大友皇子の間で皇位継承をめぐる内乱がおこった。この乱に勝利した大海皇子は、673年に飛鳥浄御原宮で天武天皇として即位した。天武天皇は大臣をおかず、皇后や皇子と共に政治を主導する皇親政治と呼ばれる体制をとり、e律令国家の実現に向けて急速な整備を進めた。
問7.下線eに関連して、天武天皇の在位中の出来事として正しいものを1つ選べ。
あ.最初の全国的な戸籍である庚午年籍が作成された。
い.身分秩序である八色の姓を定めた。
う.庚寅年籍が作成され、以後、6年ごとの定期造籍の体制が確立した。
え.最初の国史編纂事業である『古事記』『日本書紀』が完成した。
お.甲子の宣が出され、急激な国政改革が断行された。」
_________________
(答:問7い〇 ※あ×天智天皇のとき、う×持統天皇のとき、え×元明・元正天皇のとき、お× ※甲子の宣(かつしのせん)(664年)は天智天皇のとき行われた内政改革)〉
〈2018早稲田大・文:「
問1.下線a『日本書紀』の説明として誤っているものはどれか。1つ選べ。
ア.舎人親王が中心となって編纂された。
イ.全体的に万葉仮名を用いて叙述されている。
ウ.持統天皇までの記事が収められている。
エ.完成は『古事記』より遅れた。
オ.編年体で記載されている。」
_________________
(答:問1〇 ※原漢文)〉
〈2018関西学院大・商人間文法2/1:「
問2.下線部b元明天皇に関して、誤っているものを下記より選びなさい。
ア.天武を父、持統を母として生まれ、文武の母であった。
イ.唐の長安城を模した平城京を造営し、藤原京から遷都した。
ウ.天武朝の富本銭に続いて、和同開弥を鋳造した。
エ.太安万侶により筆録された『古事記』が、献上された。」
_________________
(答:ア× ※天智を父、持統は異母姉)〉
〈2017早稲田大・法:「
問9 下線f文字の使用に関連する次の記述のうち、正しいものを1つ選べ。
あ 古墳から出土する三角縁神獣鏡には、日本古代の年号が記されている。
い 石上神宮に伝世する七支刀には、新羅王の太子が倭王のために作ったと刻まれている。
う『古事記』『日本書紀』のもとになった『帝紀』『旧辞』は、古墳時代の4世紀に成立した。
え 稲荷山古墳から出土した辛亥銘鉄剣には、ワカタケル大王(雄略天皇)に関する記載がある。
お 江田船山古墳から出土した鉄刀には、継体天皇に関する記載がある。」
_________________
(答:え〇 ※あ×「書初」など魏の年号、×百済王、う×6世紀、お×記載はない)〉
〈2017明治大・文:「
問2.史料Aは厩戸皇子の行なった政策の一つが記されている、この時期の政策として誤っているものを、次の ①~④のうちから一つ選べ。
①憲法十七条 ②仏法興隆の詔
③『天皇紀』『国記』編纂
④慮舎那仏造立の詔」
_________________
(答:問2④)〉
〈2014立教大・法済異文化コミュ:「
問2.下線部2)推古天皇に関連する記述として正しくないのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.甥の厩戸皇子が編纂したとされる書に『天皇記』と『国記』がある
b.小野妹子が遣隋使として派遣された
c.十二階からなる冠位の制度がもうけられた
d.中国の文物を学ばせるため、高向玄理、南淵請安、玄昉を留学させた」
_________________
(答:問2d ※玄昉→旻、なおaは正文)
〈2010明治大・政経:「
設問2 下線部(イ)天武九年、川嶋・忍壁(おさかべ)の二皇子に詔して、[ 1 ]及び上古の事を撰せしむるは、「天武九年」とあるが、実際には『「日本書紀』天武十年の記述である。空欄[ 1 ]には、『日本書紀』の編纂材料の一つになったと伝えられるものがあてはまる。その名称を、漢字で記しなさい。」
_________________
(答:設問2帝紀)〉
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