感謝の仕方
「人に何かしてもらったら感謝をしなさい」とか「感謝は口に出して伝えなさい」なんてことは誰しも一度は言われたことがあると思います。
感謝をする教育は徹底されている日本ですが、その一方で「どうやって感謝するのか?」はあまり教わっていないのではないでしょうか?
あなたはどんな時に「ありがとう」という言葉を使いますか?
人に何かしてもらった時、何かを恵んでもらった時、困っていて誰かが助けてくれた時。自分が嬉しいと思うことを他人にされた時に「ありがとう」と言います。
では自分で計画したり、労力やコストを割いてその対価として何かを受け取った時はどうでしょう?(例えばお金を払って物品を受け取った時など)
やはり嬉しいという気持ちはありますが、ありがたみはやや減少することでしょう。なぜなら事前にそうなることを予想しているからです。
そもそも有り難いという言葉は「有る」という動詞に「難し(がたし)」という形容詞が付いたもので「滅多にない、存在することが難しい」という意味です。
ですからしょっちゅう起こることや、結果が予想されることは「有り難く」はないんです。
さてここからは私の個人的な意見です。
自発的にありがたいと感じていないことに対して、社会通念上の感謝を示すことは「善」なのか?
心の底から感謝を感じてない感謝は感謝足り得るのか?
否、それは「善」ではなく「偽善」、「感謝」ではなく「パフォーマンス」です。
ではまず、どんな時に心の底から感謝を感じるのか考えてみます。私が強くありがたみを感じるのは、予想の外からの善意によって不遇が改善される場合です。
この「予想外」、「善意」、「不遇の改善」の3要素が揃う、まさしく「有り難い」状況において最大の感謝を感じます。
具体例をあげると、道に迷った時に見知らぬ人から声をかけられ道を教えてもらうなど。
この3要素のうち「善意」が欠けると「たまたまラッキーだった」となり、「不遇の改善」がなければ「そんな事をしなくても良いのに」とむしろ申し訳なく感じてしまいます。
そして一番ネックなのが「予想外」。予想していないことだから善意にも気が付かないし、そもそも誰かの努力によって今の状況がもたらされていることにすら気が付かなかったりします。
私の浅い人生での経験上、本当の感謝は後から訪れることが多いと思います。例えば、親や先生に厳しく教えられたことが社会に出てから役に立ったり、学生時代に当たり前に与えられていた環境が実は容易に実現できるようなものではなかったり。これらは全て予想外であり当時は善意に気づいていませんでした。
だからその時その場で感謝をするというのは難しい。というより原理上、ムリなのです。
そこでみつけた感謝の仕方は、今を最大限に謳歌するということ。
どうせ今この場で真意に気づけないのなら、与えられた愛情や環境を心底楽しんでしまった方が後に感じる感謝もより大きなものとなります。
また今を最大限に謳歌することで、与えられた恵みを余すことなく受け取ることができます。
そしてこの楽しむという感情こそが何よりも有り難いということに気付いた時、おのずと真の感謝に至ることでしょう。
「感謝をしなきゃいけない」とか「こんなにしてもらって申し訳ない」とか考える暇があるなら、今この瞬間を全身全霊で楽しめ!