精神論に振り切ってランニングテクニックを語る① 〜マラソンはメンタル?マラソンは科学?〜
マラソンはメンタルのスポーツと言われることもあるが、その一方で科学のスポーツとも言われ前時代的なスポ根理論は蔑如される。だが気持ちの持ちようでほんの1秒でもタイムが変わるなら儲けものではないだろうか?
ということで今回はあえて精神論に振り切ってランニングパフォーマンスへの影響を考えてみようと思う。
応援
精神面のサポートとしてまず思い浮かぶのが応援・声援だろう。レース直後のランナーへのインタビューなどでは、みな口を揃えて「声援が力になった」と言うが、本当だろう?監督からの具体的な指示などは別として、声援は実際にパフォーマンスを上げているのか。
まず前提として持久系競技においては常に100%の力を出し続けているわけではなく、一定の割合をキープすることが求められる。(もちろん100m走であっても常に全出力というわけではないが、無酸素運動の割合という点において明確な差がある。)レースの一時を切り取ってみれば、あえて"程よく手を抜いている状態"とも言うことができる。ただしこれは決して"ラク"と言えるような状態ではなく、苦しい状態であり続けるということを意味している。ハッキリ言って全力を出して"打ち上がって"ペースダウンした方がまだ"ラク"だ。
この状況において警戒しなければならないのが"緩やかなペースダウン"だ。苦しみながら走っている時に少しでも気を抜けば無自覚にペースダウンしてしまう。感覚的に言えば常に少しずつアクセルを踏み続けているくらいで、ようやくペースキープになる。この時に"声援"が"気づき"を与えてくれるのだ。
声援をキッカケにアクセルを踏み直すことでペースキープできるのなら"声援が力になった"と言って差し支えないだろう。
他者への応援
応援というと、主に沿道から選手に向けてかけられる声援を想起するだろう。しかし練習中・レース中にチームメイトや他者への声掛けをすることで、むしろ声をかけた側が元気になるということがある。
特に近年ではランニング系インフルエンサーが増え、走行中にファンへ向けてのコミニュケーションが取られる場面をよく見かける。またランニングクラブのコーチが走りながら声掛けしているのもよく見るだろう。
だがいわゆる部活動の場では昔からあった光景に思う。集団で走っているときにこぼれそうな下級生に上級生が声を掛けて背中を押すとかは日常的に行われてきた。これは声をかけられた側はもちろんだが、声を掛けた側も「キツそうだな」と思って励ましているうちにいつの間に自分の呼吸が落ち着いていた、となることがある。
これは黙って走っていれば集中が自身のみに向かうため"キツさ"を強く感じるが、他人に声をかけることで意識が外に向かい、それが中和されるからだ。この"集中力の分散"については次の章で言及する。
さらにもう一つ、人の脳は主語を認識できないらしい。私の脳はそんな低能ではないと思っているが、要するに相手に「大丈夫だ、まだ行けるぞ」と言うと、脳は自分が「大丈夫、まだ行けるんだ」と勘違いするということだ。またそこまでアホな脳でなくとも「人の振り見て我が振り直せ」というようにフォームを指摘することで自分自身のフォーム修正にもなるのだろう。
過集中と集中切断
人間の集中力は1クール15分、持続させても90分と言われていて、マラソンのような長時間の競技では終始集中していることは困難である。また"集中"自体に体力を使うので、マラソン中は意識的に集中を切ることがある。
例えば5000mのレースであれば15分もあれば終わってしまうので、終始最大限の集中力でレースの一瞬の流れを見逃すまいと呼吸音にまで気を向けて走る。
だが、マラソンでは1秒くらいあるいは数秒程度は反応が遅れても巻き返しができるだけの、速度的・時間的猶予がある。なので集団に乗ってペースが固まったら集中を切って無心で走り続ける。言わば寝ながら走っているような状態だ。後半になってから意識を戻すとそこまでワープしたような感覚になる。
マラソンに比べて5000mの実際の競技時間は10分の1程度だが、時間の流れが圧倒的に遅い。せいぜい3分の1程度にしか感じない。これは意識量の総和が変わらないからである。
剣術の達人同士の戦いでも時の流れが緩やかになると言うが、大袈裟に言えばそれがトラックレースの感覚だ。単位時間あたりの意識量が多くなる分時間感覚が長くなるのだ。
逆にマラソンの感覚は動作のルーティン化とも言える。同じリズム、同じ呼吸で走り続けるから一挙手一投足に意識を向ける必要がなくなる。そして感覚を極限に薄めていくことで時間感覚が短くなる。これは達人の果し合いよりめ、瞑想に近い。これを上手く使うと10km〜30kmの間は意識が飛ぶので、最初の10kmと最後の12kmだけ集中すれば良い。
この集中力の使い分けもメンタルによるパフォーマンスへの影響と言って良いだろう。
さて、ここまで書いたところで2000文字を超え読者の集中力も切れてきたことと思うので、一区切りとさせていただこう。
次回は明日の練習でも使えるより具体的な精神論について出来るだけ客観的に論じてみようと思う。