じいじ 保育士を目指す! 社会学的考察
今日はバス乗り継ぎで
接続時間ゼロ分で最後のバスに乗れなかった(定時の次のバスになった)。私の通勤プロセスはこんな感じだ。
この違いは一体なぜか?という疑問が湧いてきた。リサーチクエスチョンの芽生えだ。と言ってもこの疑問は世の中に対して1mmも貢献(前進)させている訳ではないからリサーチとは呼べない。
が、研究のプロセスとしては、出発点は疑問であり対象に対する怒りがあって、それが社会的公正とか不合理についてなら社会学的な疑問としては妥当性が生じる。私の場合は限りなく私的な怒りだ。
だが、この通勤プロセスには、実は通勤手当(つまり、定期代としてもらう)+自分で462円(電車+バス運賃)を払って通っている。つまり、お金で時間を買っている訳だ。という意味では通常の通勤経路で到着した時刻と同じでは、462円の意味は経済的には存在しない事になる。
とRQ(リサーチクエスチョン)の出発点は、公共的な怒りなりによって出発するが、あくまでもそこはこの場合は公共性はない。通勤をおこなっている人が同様の疑問を持つとすれば、それはささやかな問いへの回答を提供するという意味では数μmの前進はあったかもしれないが。
まず、RQとして二つの疑問がある。
そもそも、信号の補足率(赤信号で止まる比率)はどう決まるのだろうか?
そして、補足率を決める要因として主要要因は何か?
(ただし、交通渋滞等の特異な状況下を除く)
単純に、通勤経路(バス路線での交差点の数と実際に止まった回数)として
経路Aでは35(地点) 経路Bでは22地点だった。
補足率 19/35 A地点 54%
9/22 B地点 41%
となった。ここは補足率50%を超えると多分赤信号でよく止まると思い始めるものと想定されるが、ここはインタビュー調査で主観的な閾値の同定が必要になるだろうが。。。ここはスルーする。
考察としては路線バスの経路の交通工学的(地理的因子)な交通量のネックになる要素の(経路内の渋滞箇所という要因で見た場合の)違いは考慮されないが、都内のほぼ同時刻帯での交通量の差はほぼないと考えた場合の経路差はほぼないと推論すれば、補足率の違いは路線バス運転手の個人的要因によるものと推定される。
これが仮説として成立するはずだ。
では、この仮説を検証するには補足率を取り続けて、路線A、Bでの差がどの程なのか、運転手別の補足率、曜日等の因子との相関を出せば補足率の差を生み出す要因分析によって仮説は成立するかどうかは可能だ。
ただ、運転手の個別同定は難しいから
別の推定要素としては、自分のタイムカードによる就業開始時刻を調べる事である程度の遅れ発生頻度がわかる訳で、推定要因としてバス運転手の勤務ローテーションの仮定として考えられるのは月単位で何回入るか(早朝便の割り当て)という要因で考えれば、月一回程度の頻度が考えられる(同時刻のバスに乗務するパターン)。私の就業開始時刻が遅いのは月一回だったから(ここ三か月では2回はない)妥当性がある推測と考えられる。
となると特定の路線バス運転手の個人的な運転特性との相関は極めて高い事が予想される。
さて、この調査を進める事で何がわかるのか?
月一回の不運と思って諦める(実際、どうにもならないから諦めるしかない)。
しかし、「赤信号によく引っかかるな」という主観的な感覚はあながち気分の問題ではなく、実際によく引っかかるという客観的根拠があるのだという事実の裏付けがあるという事はわかった。
今回の考察シミュレーションはこの程度で終わるけど。。。
ちなみに、先行研究は存在しなかった(ざっくり検索)。関連する論文は、土木工学系の論文は参考文献としては
中川大・伊藤雅・小出泰弘 (1998 )公 共交通 と自動車 交通 を統合 した都 市交通 シ ミュ レーシ ョンシステムの構築.土木情報システム論文集,7,97-104
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalac1992/7/0/7_0_97/_pdf/-char/en
こんな感じだろうか
ちなみに私の所属学会の引用規定
https://jsrecce.jp/wordpress/wp-content/uploads/2021/04/【完成版】引用文献表記第60巻~.pdf
という社会学的考察ごっこをしてみた。
さて、今日はこの辺で。