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じいじ 保育士を目指す! アクションリサーチ

 講義の中で

 これからやりたい研究テーマは?

というので「解放の保育学」をしたい。公教育の中で、選抜システムを全廃して、公教育の教育システムの根幹からドラスティックに変えて、幼児教育の様に個別の学習とその興味で進路が決まるシステムに切り替える。そこで、経済界の衝突やその社会の仕組みとして「選抜システムに代わる新たな評価システム」という選抜システムの形を変えたモノが生まれる。

 例えば、選抜システムを公教育が無くせば、教育産業は必ず「◯◯力評価テスト」を作り出し、経済界は「職業選択テスト」を生み出してくる。形を変えた選抜システムが生まれる。

 その仕組みを変える根幹的な答えを考える事、実現する事。という趣旨の発言をしたら

 指導教官(その講義は指導教官が受け持っていた)は、「あなたの問いは、問いになっていないし、選抜システムを変えるというなら選抜システムが何故生まれてどういう歴史的過程を経て現在に至っているのかの問いに答えないと研究になりません。」という。

 確かに研究、特に教育史や教育哲学をやるならそうかもしれないが、私の関心事は教育学の蛸壺に入り込む事ではない。

 私は、「ですが、戦後高度経済成長の課程で高品質な労働力を生み出す再生産システムとしての教育システムと現在(の少子高齢化社会の国力低下)の状況は違う訳で、そこを変革(研究ではなく!)するムーブメントを起こすのが興味の対象です。」と言うと

「で、研究による裏付けがないモノを誰が信じるの?」と言った。

 これ以上議論をするつもりはない(時間がある訳でもないしそう言う場ではないから)ので、発言をやめたが、私ははっきりわかった。研究の為の研究をする研究者になりたいとはサラサラ思ってもいないし、そもそもそんな人生の時間など、棺桶に既に足を突っ込んだ人間には時間的な余裕などない。

 アクションリサーチが、現実に対処し変革を促す有効な手段だとすれば、実践的研究を在野だろうが、どこだろうがやればいい訳で、歴史的研究や先行研究の積み重ねで論証を重ねる行為は確かに重要だし、研究はその方法論によって成立する。もちろん、私も巨人の肩には乗らせてもらうが、社会変革を実現する指向性を考えるならば、革新的なパラダイムシフトを促す方法論を伴わない限り不可能だ。

 現実の教育学が批判的に公教育を見つめても(批判的教育学)、その批判が社会の人々に響かない限り社会変革はありえない(批判的教育学は、世の中をどれだけ変えた?)。つまり、選抜システムという仕組みの歴史過程や先人の研究過程を閲覧的に整理して、じゃあこの一歩先を示しましたというのでは、世の中の人には「ほとんど、いや全く」関心外だという事だ。

 確かに、この発言が居酒屋談義のレベルでしか無いのは認める。しかし、未来の子ども達に残せるモノ(未来への贈り物)は、公教育への「解放の保育学」が作り出す社会変革としての良質な教育環境が生み出す多様性から生み出されたモノである。そして、個々人が持つ学びへの豊かさを実感する事。それによって、その豊かさが生み出す未来への前進が国富で有り、その継承と伝達が未来への贈り物だと私は思っている。

さて、今日はこの辺で。

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