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暴力の選択肢。
自分の父親はクソである。酒タバコギャンブルは勿論。DVモラハラのオンパレード。自分の思い通りにならないとすぐに癇癪を起こして感情が抑えられない瞬間湯沸かし沸騰器。それでも元警察官という社会では認められた存在なのがまた恐ろしい。そんな姿、それが当たり前の環境で育ったからなのかいつのまにか自分の選択肢に当たり前のように暴力やそれに準ずる選択肢が存在していた。
だから怖いのだ。不安なのだ。人と関わる時が。更に踏み込んだ事で言えば経験は少ないけれど人とお付き合いしたこともあった。それは幸せな時間であると当時に相手を傷つけてないか?嫌って言えない空気を出してないか?とにかく父親の要素が自分から顔を覗かせるのを恐れていた。そこで思った。自分は結婚したり、家庭を持ったらきっと奥さんや子どもに手を上げて傷付けるだろうと。そのイメージがいとも簡単に湧いてしまった。自分は普通の人よりも明らかに人を傷付けることに対するハードルが低いのだと知った。結局それが何を意味するか。自分も人ではなかった。バケモノが人のフリしてる存在だったということだ。
大切な人や対象を大切に出来ない十字架を背負った感覚は親への怨みへと繋がってしまう。
それでもまた人と付き合ってみたいしなんなら結婚なども夢見てみたい。って思ってしまう。でもこれは自分のことしか考えないんだよね。結局自分が一番可愛い。